この本読んどく?

オススメの小説や書籍、簡単料理のアレンジレシピまで幅広く紹介!

タグ:歴史

grave-1605706_1920
最近では家紋を入れないお墓も増えてきているそうだ。
それにお墓のデザインも種類が増えてきて墓地もどこかモダンな感じになってきたように感じる。
使う石によってもまた雰囲気が変わってくるのもまた不思議だ。

それでも先祖のお墓や曾祖父・曾祖母などのお墓には「家紋」が入っていたりするのではないだろうか?幼い頃の私は「こんな薄気味の悪い場所にこんなに美しいものがあるなんて」と奇妙な印象を受けたことを今でも覚えている。

そこで今日はそんな「家紋」にまつわる本、泡坂妻夫「家紋の話」を見てみようと思う。




目次

  1. 家紋の展覧会!墓地と家紋とときどき私
  2. 「家紋の話」を読む!
  3. オススメ度

家紋の展覧会!墓地と家紋とときどき私

夜道墓地の脇を通る。昼間、木の陰で薄暗くなった墓地の脇を通る。
どっちもなんとなく薄気味悪くてよく後ろを振り返りながら帰ったものだ(後ろを見るのはあんまり良くない)

しかし小学生になるとお寺の子の友人ができ、よくその子の家に遊びにいった。
鬼ごっこや野球、チャンバラ。鬼太郎ではないけれど、墓場で運動会状態だったのである。今から思うと相当罰当たりなことをやっていたわけだ。

遊んでいるうちに墓場に対する悪いイメージも消えていき、お墓に興味が出てくる。
その時こそ家紋という言葉は知らなかったが、墓ごとに様々なマークが付いているのを気にはしていた。次第に日本史に興味を持ちはじめると、当然戦国時代にも惹かれ始める。そこでもまた家紋に遭遇したわけである。

本当に暇なときや、たまたま通りかかったときなんかは今でもこっそり覗いてみたりする。この墓場に行って家紋を見るのはもはや今では趣味になってしまった。

実際お墓を歩いてみると、本当に多様な紋があるのだ。そしてどれも美しい。
自分の家の家紋の名前だけでも知っているとなんだか過去と繫がった気がしてこないだろうか?

これからお墓参りシーズン到来だが、今ではなんと「お墓参り代行」なんていうものまであるらしい。そうまでして墓参りする意味なんかあるのだろうか、というかそれは墓参りなのかと疑問である。

「家紋の話」を読む!

そんなわけで前から興味を持っていた家紋についての本を手に取ってみたのだ。
縄文時代の模様から始まり、紋の誕生から紋の盛衰。そして紋の最盛期である江戸時代についても詳しく書かれており、たいへん勉強になる本だ。

また日本人の美的センスというか、「どういったものは紋にしてどういったものは紋にしない」というコダワリのようなものも見えてきて、今まわりにある日本の文化の一端、そのルーツを垣間見ることができる。

さらにこの本の良いところは「家紋がこれならあなたの家の先祖はこれ!」といった類の本とは違い、純粋に「家紋」について書かれていることだ。そもそも名字も家紋もほとんど明治までしか辿れないだろう。なので「純粋に家紋について知りたい!」という人は読んでいてきっとニヤニヤしてしまうはずだ。

もちろん図柄入りで説明されているので安心して欲しい。
木瓜や桐、菊、卍に巴などの有名どころからそんな紋があったの!?という驚きの紋まで様々なものが紹介されている。

例えば「土星」。ほんとにあの惑星の形をした紋だ。だれがどのように、何故土星をチョイスしたのだろうか?と様々な疑問が浮かび上がってきて面白い。
また「尻合せ三つ兎」や「後ろ向き三つ兎」「蟹牡丹」「踊り蟹」など本当にあるの!?とおもわず言ってしまいそうな紋まである。
この本を読んでいるだけで目が喜ぶのを感じるのだ。

私がいちばんツボったのは「ハーケンクロイツ」を紋として見た場合なんと呼ぶかである。
観光客の中にはいまだにこの卍を見て驚く人がいるとかいないとか。似ているけど違いますよね!
そんなわけで紋として作図した場合、ハーケンクロイツは『石持地抜き隅立五つ割り右卍』となるようです。すごい! そして泡坂氏曰く、「上絵師であればこれ(石持~)を聞けばハーケンクロイツを知らなくても同じように作図できる」のだそうです。恐るべき家紋・上絵師の世界!

そしてもう一つ驚いたのが、実際に過去の「紋章集」なんかは筆者が実際墓場にいって型をとったり書き写して集めたのだという。そんな努力があるからこそ今でも様々な家紋の名前が残っているのだろう。

西洋の紋章も確かにカッコイイが、たまには家紋の美しさに目をやってみたはいかがだろうか?

オススメ度

オススメ度★★★★☆
面白さ★★★★☆
この本の良いところは、やはり本職の上絵師でもある泡坂妻夫本人が書いていることだろう。
マジシャンでもあり、作家でもあり、上絵師でもある。やはり好奇心は何事においても重要なのだろう。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ
にほんブログ村

人気ブログランキング
blogramのブログランキング


osaka-castle-183446_1920
昨今の戦国熱はとどまるところをしらない。一昔前まではマイナーだった武将も今ではゲームや大河の影響で一躍人気者となっている。

しかしながら有名な武将の影に隠れ、自身の手柄が他の武将のもののように語られていたり、存在さえ知られていない武将もまた多くいるのも事実だ。

今日は真田信繁に知名度も人気も押されがちな大坂の陣の功労者、毛利勝永を主人公とした小説を読んでみようと思う。

目次

  1. 作者の仁木英之ってどんな人?
  2. 毛利勝永とは?
  3. 「真田を云て、毛利を云わず」を読む
  4. オススメ度

作者の仁木英之ってどんな人?

仁木英之氏は2006年に「夕陽の梨」で第12回学研歴史群像大賞最優秀賞を受賞、さらに同年8月に「僕僕先生」で第18回日本ファンタジーノベル大賞大賞を受賞し、デビューした作家だ。

デビュー作であり代表作でもある「僕僕先生」はシリーズ化されており、これまでに9冊刊行されている。ちなみにこちらは太平広記をアレンジしたファンタジー小説となっている。

毛利勝永とは?

惜しまれつつも幕を閉じた真田丸から半年が過ぎようとしている。
その真田丸の中で毛利勝永を演じたのは岡本健一さんだった。が、牢人衆ということと信繁が目立ち過ぎ(主役だから当然)ということもあってやはり存在感が薄かった気がしてならない。

実際の勝永はどうだったか?
勝永は父吉成と同じく豊臣家臣として仕えた。関ヶ原では安国寺恵瓊の指揮下におかれたこともあり思うような活躍はできなかった。

その後領地没収となり一時土佐山内家へと身を寄せる。そんな中豊臣秀頼から招きを受け、土佐からの脱出を図る。ちなみに脱出の際、衆道関係であった山内忠義との関係を留守居役の山内康豊に暴露。混乱する康豊に「忠義が大坂に出陣したのだから私が助けに行くのは当然だ!だから大阪(包囲側=徳川方)に向かわせてくれ!」と頼んだようである。しかしながら皆さん御存じの通り勝永が向かったのは豊臣方である。これには忠義も激怒したそうで次男鶴千代・妻・娘は城内に軟禁されたらしい。
とっても簡単に、しかも誤解を招く可能性を覚悟の上で現代風に分かりやすく説明すると「彼女の父親に彼女との結婚届を見せ(しかも判も押してある)、彼女の元へ駆けつけると嘘を言い浮気相手の元へと駆けつける」ようなものである。これは忠義が怒るのも最もである。しかも領地没収後1千石もらって手厚く遇されていたというのに。ただ豊臣から受けた恩のほうが大きいということだろうけども、もっと他の脱出方法は無かったものかと気にはなる。

さて大坂の陣である。
豊臣譜代家臣ということで諸将の信望を得て「大坂城の五人衆」と称された。だが冬の陣では活躍できなかったようである。
だが、夏の陣である。夏の陣では道明寺で敗退した後藤基次の敗残兵を収容し大坂城へと撤退。天王寺口の戦いでは兵4000を率いて四天王寺南門前に布陣。本多忠朝から攻撃を受けると、これに反撃。忠朝・小笠原秀政・忠脩親子を討ち取ると、浅野長重・秋田実季(木像の話が有名な人)・榊原康勝・安藤直次・六郷政乗・仙石忠政・諏訪忠恒・松下重綱・酒井家次・本多忠純などの部隊を撃破。遂には家康本陣に突入するという活躍を見せた。しかし真田隊が壊滅すると戦線が崩壊。四方から攻撃を受けるも討ち取られる事無く城内へ撤退。秀頼の介錯を行った後、自身も自害したとされている。

ドラマでは荒々しい人のように描かれていたが、勝永は旧臣・浪人分け隔てなく、組下の者にもやさしい人物であったそうだ。

「真田を云て、毛利を云わず」を読む

この「真田を云て、毛利を云わず」は星海社から2013年に出たあと、おそらく大河にあわせてきたのだろうと思われるが、2016年6月に講談社から文庫化されている。その際元のタイトルを副題とし、タイトルを「真田を云て、毛利を云わず」に変更した。

さて戦国物である。昨今の戦国ブームを鑑みれば誰しも好きな武将一人や二人はいるであろう。私も戦国時代は好きだが、それは史実と史実の間の不明な点があるからである。解明されていない謎や不明瞭な部分に魅力があるのだ。なので、小説内でも多少の疑問はスルーできるのだが、行き過ぎるとやはり気になってくる。史実物であるならば、自身の妄想や想像は最小限に抑え、別のところで魅力を出すべきであろう。この小説はその悪い部分が出てしまっている気がするのだ。

この本を読んで気になったのは参考資料をどこから引張ってきたのか?である。単に私が無知なだけならば参考資料を読んで知識を深めたいという理由もある。が、やはり納得できない。
①当時の日本に甲冑を貫通し尚且つ拳大の大きさの穴が開くような火縄があったのかどうか?
→戦闘シーンを華やかという理由ならばもっと別の方法があったのではないか?

②竜造寺隆信の渾名の問題。
→どう考えても「肥後の虎」はおかしい。あえて「肥前の熊」を使わなかったのはなぜか?

③仙石秀久の問題
→長宗我部ファンや十河ファンに蛇蝎のごとく嫌われているのはわかる。が、あまりにも下げ過ぎるのはNGだろう。作者個人の心証が入ってやしないか。仙石がクズすぎるので全部責任を押しつけた感じの書き方は好きになれない。さらに、あいつは潮の事、船の事、何もわかっていないという場面があるが本当にそうだろうか?淡路島の大名が船や潮のことを全く知らないということはありえるだろうか。しかも淡路受領後は淡路水軍・小西行長・石井与次兵衛・梶原弥助ら複数の水軍を統括している。仮に何も出来ないただの暗愚を重要な場所に秀吉が置くだろうか。

④島津家久混同問題
→どうも読んでいると島津家久を作者が混同しているように思える。何も前情報なしに読むと上巻の「家久」と下巻の「家久」が同じ人物に思えてならない。どこかに注意書きがあってもいいものだがそれもない。それは作者自身が二人の「島津家久」を混同していたからではないだろうか。この時代の島津家には近い年代に二人の「家久」がいるのである。
一人は「島津四兄弟」の一人で軍法戦術妙を得たりと言われた「島津家久」。もう一人は島津義弘の子で初代薩摩藩主である「島津忠恒」改め「島津家久」。しかしこちらが「家久」と名乗ったのは関ヶ原後であり、かつ四兄弟の方の家久は1587年に没していることからもズレが生じている。

等々、所々気になるところはあるのだが、気にせず読めればそれなりに面白い本である。おそらく作者は西軍派なので、西軍ファンの方は概ね好意的に読めるだろう。
ちなみに「真田日本一の兵」と言ったのは先ほど出てきた「島津忠恒」である。が、この人は大坂の陣には行っていない。

オススメ度

オススメ度★★☆☆☆
面白さ★★☆☆☆
やはり所々腑に落ちない点があったのが悔やまれる。しかし一般的には知られていない武将の活躍する小説が増えることで知名度が上がるのは良いことだ。ちなみに毛利勝永だが、天下創生から変化がなかった顔グラがここに来てイケメンに変化している。能力値も大幅アップである。大河効果だろうか。
真田を云て、毛利を云わず(上) 大坂将星伝 (講談社文庫)

仁木 英之 講談社 2016-06-15
売り上げランキング : 197499
by ヨメレバ
真田を云て、毛利を云わず(下) 大坂将星伝 (講談社文庫)

仁木 英之 講談社 2016-06-15
売り上げランキング : 137879
by ヨメレバ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ
にほんブログ村

人気ブログランキング
blogramのブログランキング

↑このページのトップヘ