この本読んどく?

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タグ:戦国時代

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今月の1日から和田竜原作「忍びの国」の公開が始まった。
興行収入は30億円を越える見込みのようだ。
公開されたばかりだが、映画評価サイトのレビューは概ね好印象のようである。

では原作のほうはどうなのか?今回はこの「忍びの国」を見てみようと思う。




目次

  1. ヒット作を書き続ける男・和田竜
  2. 忍者って何者!?
  3. 「忍びの国」を読む
  4. 織田信雄に漂う悲哀~あいつは能でも舞わしとけ~
  5. オススメ度

ヒット作を書き続ける男・和田竜

当初脚本家を目指していた和田氏。2003年「忍ぶの城」で第29回城戸賞を受賞した。
そして2007年に忍ぶの城を自身の手で小説化、「のぼうの城」として出版。こちらは後に野村萬斎氏主演で映画化された。

そして2014年には「村上海賊の娘」で第35回吉川英治文学新人賞と2014年本屋大賞、第8回親鸞賞受賞した。他に「小太郎の左腕」が2009年に小学館から刊行されている。

本作「忍びの国」は2008年に新潮社から刊行されたもので、第30回吉川英治文学新人賞候補となった小説である。エンターテイメント性を豊富に詰め込んだ、従来とは違った歴史小説でいま注目を集めている作家である。

忍者って何者!?

今作「忍びの国」はタイトル通り「忍者」が主人公である。
忍者といったら「NARUTO」のような火遁・土遁などの派手なアクションや、暗がりで相手を暗殺する、そういったものを想像するだろうが実際の戦国期の「忍者」とはどんなものだったのだろうか?

主な仕事はやはり情報収集や監視、連絡、破壊工作などだったようである。
また伊賀忍が傭兵色が強く金銭で動く集団だったのに対し、侍がルーツだとも言われる甲賀忍は忠誠心に厚く、合議制などを導入し多数決で決定していたようだ。

忍びに共通していることは身体能力に優れ、厳しい規律に縛られた諜報集団ということだろう。また近年では動植物学や化学の知識を持つ技術者集団としての一面もあったと言われている。

伊賀・甲賀の他にも武田氏の透破、北条氏の風魔、伊達氏の黒脛巾組などが有名だろうか。
実在した忍者では百地三太夫のモデルとなった「百地丹波」「藤林長門守」、謙信や信玄がその能力を恐れた「鳶加藤」などがいる。また松永久秀が苦手とする人物の一人「果心居士」も実在したかは不明だが良く語られる人物の一人だろう。

ちなみに「服部半蔵」は服部半蔵家の当主の通称。
一番有名なのは「鬼半蔵」こと「服部正成」。「槍半蔵」渡辺守綱と共に怖れられた。また正成は武士であって忍びではない。伊賀衆を率いたことは事実かつ出身も伊賀ではあるがゲームや小説のように彼自身が暗殺や忍び働きをしていたわけではない。

「忍びの国」を読む

舞台は「天正伊賀の乱」である。
第二次まであるのだが、「忍びの国」では第一次伊賀の乱で終わっている。

この小説は一応「時代小説」であるのだが、エンターテイメント寄りの時代小説である。これを知った上で読めば非常に面白く読めるが、バリバリの時代小説として期待して読むととんだ肩透かしを食らうので注意が必要だ。だが、時代考証や設定はしっかりしているし、随所で出てくる作者も気にはならない。

ではどこが評価を分けるのか。これは忍者に何を求めるのか?ということになってくる。
上で述べたような地味な活動をする、実在しそうな忍者はこの小説には登場しないのだ。出てくるのはどちらかといえば「NARUTO」や「ドラゴンボール」よりの人物たちである。
主人公の無門さんは消えるのである。速すぎて。
このシーンを読んで思い出されるのは天下一武道会での対天津飯戦だ。あんなノリや、
「見えん!この神の目にも!」
的なノリが好きであればきっとこの小説は面白い筈だ。また最終的には私の中で無門さんはるろ剣の「外印」になってしまった。安土城から去る無門さんは去り際に「幾何八方囲陣」のようなものを施して去って行く。

ネタはさておき、この小説は登場人物の心理が良く描かれているなあと思うのだ。
特に信雄の信長に対するコンプレックス。信雄を安易に無能なムカつくクソ野郎に書かなかったのは好感が持てる。また、北畠具教の一の太刀くだりなどはニヤッとしてしまう人も多いのではないだろうか?

時代小説ファンも普段時代小説を読まない人も等しく楽しめる小説であろうと思われる。
またアクションシーンが多いので映画ばえしそうな内容だ。

織田信雄に漂う悲哀~あいつは能でも舞わしとけ~

織田信長の次男として生まれたとされる織田信雄。
彼の逸話で最も有名なのが「信長からの怒りの手紙」であろう。
その中身はを簡単にまとめると、
「なに勝手に伊賀攻めてしかも負けてるの?
こっちに兵を出すのは伊勢の武士や百姓の負担になるから遠征を免れるために伊賀を攻めたのか?いやいやお前馬鹿だしそこまで考えてないだろどうせ。
上方への出兵は俺への孝行や兄貴を思いやる心、そして自分の功績をアピールできる場だったじゃん。
しかも柘植まで殺しやがって。お前の態度次第じゃ親子の縁切るからな?」

という強烈なものでしかも右筆に頼らず信長直筆である。
この逸話から信雄=無能というイメージが定着してしまっている。

また安土城が炎上して焼失したのは信雄のせい、信雄が火をつけたという噂まで流れたほどである。ルイス・フロイスがキリシタンでない人物に対してはサゲる記事を書いていたのを加味しても「信雄は馬鹿だからやったのだ」というこの発言は当時の共通認識だったと思われる。

だが芸達者だった信雄。特に能の名手だったと言われている。
しかしながら近衛信尹卿は信雄の舞を見て感嘆しているのに対し、秀吉は「舞うのが上手い奴にろくな奴はおらん!」と発言していたりする。ちなみに清正や三成も同意見だったようだ。

しかしながら江戸時代に大名として存続したのは信雄の系統だけであったり、継室との間に生まれた織田信良の系統は皇室へと繫がっている。これは戦が下手で周りからも期待されていなかった信雄だからこそできたことなのかもしれない。

また内大臣まで昇った公家でもある。名前の読みは「のぶかつ」「のぶを」どちらでも正しい。

オススメ度

オススメ度★★★☆☆
面白さ★★★★☆
あくまで時代「エンターテイメント」小説である。しかし膨大な量の参考資料に基づいて書かれた本書は私たちを束の間戦国時代へと誘う。忍者に憧れた男子は特におすすめの一冊だ。
忍びの国 (新潮文庫)

和田 竜 新潮社 2011-02-26
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本を買う際ネットでオススメの物を買うことも多いのだが、そうしていると自分の本棚から自分の色がだんだんと消えていってしまう気がしてならない。

なので書店で本を買うときは
①ネットでオススメのもの
②立ち読みして面白そうなもの
③立ち読みもせず、タイトル・カバー・出版社のみで判断するもの
を合わせて買うようにしている。
そんな買い方をしていると、たまに出会う本が「壁本」である。
きょうはそんな「壁本」の素晴らしい世界を見てみよう。




目次

  1. 壁本とはなんぞや?
  2. 「戦国武将のカルテ」を読む
  3. 壁本度

壁本とはなんぞや?

簡単に言ってしまえば各ジャンルに存在している所謂「地雷」のことである。
「読んだ後、壁に投げつけたくなるほどどうしようもない本」略して「壁本」だ。
「壁本」の多くはミステリー界隈に多く存在している。というのもトリックが成立していない・結末に納得がいかない(無理矢理・ご都合主義)・設定がおかしいなどの本が結構数存在しているからだ。そんなわけでミステリーは壁本との遭遇率が高い。

しかしながら世の中には好んで「地雷」や「壁本」に挑む猛者もいるようだ。
そして私は「壁本」に遭遇してしまうのも読書の醍醐味の一つだと考えている。くじ引きのようで楽しいのだ。「壁本」がいてくれるからこそ、「良書」が目立つのである。

今後「壁本」も読んでみようという方は上記③の買い方をすると遭遇率が高まるはずだ。知名度の低い作家の帯に「衝撃」とか「驚異の」とか「どんでん返しの連続!」とかあったら要注意。そこには壁本の匂いが漂ってる。

「戦国武将のカルテ」を読む

まずこの「角川ソフィア」でぶち当たるとは思ってもみなかったので驚きが大きかった、というのが一つある。まさかここで引き当てるとは!出版業界は複雑怪奇であります!

この本は2008年に出たものを加筆修正して今年の2月に文庫化したものだ。
私が気になった点を順次上げていこうと思う。

①帯には「最新医学で戦国武将を診断」とある。他の出版社からも同系統の本は出ているが、角川ソフィアならより詳しく、面白い解説が読めるに違いないと思っていたわけである。

が、そんなことは全くない!最新医学なんて全く使っていないではないかい!
出てくる診断は癌!癌!癌!
大酒呑みは脳出血や脳卒中!

うん。それ別に医者じゃなくても見当つきませんかね?
日本人の癌による死亡率は相変わらず高い。昔もそうだったろう!と適当に書けば大体あたるはずである。

さらにタイトルに「カルテ」とあるにも拘らず、カルテらしきものや、詳しい詳述は一切ない。

②真田昌幸について
九度山に流されてからの昌幸である。
たしかに晩年、信之に宛てた手紙には「身体も弱り、なんとか自分を慰めたいから若駒を送ってほしい」というものがある。そしてその地で病没した昌幸を筆者は「無様」と切り捨てる。
が、果してそうだろうか。最後の散り際が良くないというのだが、では上田城合戦終了後切腹していれば良かったのだろうか。いやいや、九度山に流された当時昌幸がそこで終わりだと考えていたとはとても思えない。当然なんとか脱出し一泡吹かせようと考えていたはずだ。

さらに真田親子は当然当初は死罪だった。そこを本多忠勝・真田信之の助命のおかげで流罪となったのだ。それを考慮してもまだ筆者は「切腹すべき」と言うのだろうか? ここで切腹しては忠勝と信之の顔に泥を塗ることになるとは考えなかったのだろうか。

③宇喜多秀家について
関ヶ原後八丈島へ流罪となった秀家。そこでの秀家を筆者は「いつも飢えて死の臭いを放つ秀家は厄介者で扱いも粗略だった」と記述している。
島民からも疎んじられ、餓死寸前であった宇喜多秀家が八丈島で分家を三つもおこし、さらに84歳までも生きられるものだろうか?

ここでは八丈島の宇喜多秀家へ前田藩から仕送りがあったことは一切触れていない。
さらに迷惑な厄介者と書かれているが、実際のところは高貴な身分ということで厚遇され、島の役人とも婚姻関係があったようである。さらに筆者は「仏門に深く帰依した僧侶であったと考える」と述べているが、それなら秀家を疎んじるということはさらに無くなるはずである。

ちなみに佐渡への流罪は地獄だが、八丈島は比べると天国のようであったらしい。

④諸所の細かい武将の上げ下げ
簡単に言ってしまえば2008当時から時代が止まっているのでその武将に対する考えが古い。信長下げ・義元下げは酷い。特に義元の「すごいデブだから馬に乗れませんでした」というのは酷い。そのような説が根強く残っているのは事実だが、それが事実かどうかも分からないしほとんどが後世の創作と言われている。実際甲冑姿の肖像画にはそんなイメージは全くない。せめて「~という説もある」とすべきであった。

⑤作者の個人的思想・現代人の思想の押しつけ・個人語り問題
これが一番の問題で、当然当時の武将や人間たちがどう考えていたかという立場から考察すべきであるのに、現代の日本人の視点や価値観からこうだ!と決めつけている個所が多々ある。
たとえば「籠城の際熱い風呂や温かい布団で寝れなければストレスが溜まってしまう」とあるがこれはどうなのだろうか。当時戦に参加していた武将や農民は皆「熱い風呂に入って温かい布団にくるまれて寝る」という生活を送っていたのだろうか?

また「切腹」・「討死」・「老衰死」は良いが、「刑死」・「病死」は無様というのはどうなのか。
特に老衰死と病死は非常に曖昧だ。作者の立場になって考えると切腹すれば皆あっぱれとなるがそれでいいのだろうか。

さらに「人が死ぬと殯を催し~」とあるが「殯」は基本皇室や貴人の葬送儀礼に使う言葉だろう。この書き方では一般人のあいだでも「殯」という文化が浸透し、言葉も使われていたと見られかねない。
一般人の場合は「殯」を使わなくとも鳥葬なんかが近いのではないだろうか。

最後にこの「8章」はほとんどが自分語りである。武将のカルテとはほぼ関係ない。これではこのテーマで書こうと思ったが書けなかったので自分語りをしました!と思われても仕方がない。

※あくまで個人の感想です

壁本度

壁本度★★★★☆
角川ソフィアで壁本に遭遇するとは思っていなかったので衝撃は大きい。星5にならなかったのは頁数。268Pと少ないので時間の無駄を省ける点がマイナス1に繫がった。
戦国武将のカルテ (角川ソフィア文庫)

篠田 達明 KADOKAWA 2017-02-25
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当時、陣中食として重宝された「味噌」
最近では美容や病気予防に味噌が良いという話もあり、その力が再注目されている。

そんなわけで今日は焼き味噌を作ってみようと思う。




目次

  1. 「家康」と「焼き味噌」の真実
  2. 焼き味噌を作ってみる!
  3. 実食

「家康」と「焼き味噌」の真実

味噌自体の持ちも良く、溶かして飲め、焼いて食べれる。さらには肉や野菜につけても食べることができた味噌は大変重宝された。

だが、今「焼き味噌」と聞いてまず最初に「家康!」と頭に浮かんだ人も多いのではないだろうか?
しかしながらこれは「山岡荘八」の創作である可能性が高いそうだ。
良く言われているのが対武田戦・三方ヶ原での敗走時に山県昌景に追い立てられ、恐怖のあまり漏らしたものを家臣の大久保忠世がからかい、家康が「これは焼き味噌だ!」と言いかえした話だ。
だがこれは山岡荘八以前の資料には見られないことらしい。司馬史観の影響力もそうだが(坂本竜馬とか)小説家の恐ろしさを垣間見ることができる。

が、三方ヶ原ではなく「一言坂の戦い」の段に怪しげな文章がある。
そこには上と同じようなやりとりが記されているのだが、その文章の終わりに「その日は出陣していなかったので、逃げるようなことはなかったはずだ。こんな妄言は削っておく」と一言添えてある。まるで「検閲により削除」を髣髴とさせる文章だ。

そう考えると一言坂でのエピソードを転用しただけで、実際は漏らしていた可能性も否定できないようである。この対武田撤退戦は様々なエピソードがあり大変面白いので調べてみて欲しい(茶屋の婆とか)

焼き味噌を作ってみる!

焼き味噌を作るたってただ焼くだけじゃないんかい?
そう思って調べてみると、確かに焼くだけの兵士が多かったが、中には葱や胡麻、生姜などをまぜて焼いていた例もあるようだ。確かにそっちの方が焼き味噌らしい。それにより美味しそうなので今回はそれで作ってみよう。

手順は簡単。
胡麻油をしいたフライパンに刻んだ生姜・葱・胡麻を入れて炒め、火が通ったら味噌を投入し、しばらく炒める。味噌にある程度火が通ったら、しゃもじに塗りつける。それを直火で焼いて完成だ。

実食

完成したものがこちら。
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味噌が焦げた香ばしい匂いと、生姜と葱の香、そこに仄かに甘い匂いが混じり大変食欲をそそる匂いだ。ただ焼いてあるので、水分がとんだ分味は濃い。信長が好きだったというのも頷ける。濃い味の中に生姜のアクセントが効いている点はポイントが高い。白いご飯と日本酒、どちらかが欲しくなる味だ。一度ぜひ作ってみて欲しい。


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なんだか最近寝ても疲れが取れない。集中力も続かない。そんなこと、ありませんか?

そんなときにはこれ!

そう、兵糧丸だね! そんなわけで今日は戦国の携帯食である兵糧丸を作ってみようと思う。
※兵糧丸はあくまでも携帯食ですので、食べた途端元気になるわけではありません!




もくじ

  1. 兵糧丸とは……!?
  2. 実際に兵糧丸を作ってみた
  3. 実食

兵糧丸とは……!?

兵糧丸とは主に戦国時代、忍者によって使われていた携帯保存食だ。
手軽に食べれ、かつ栄養も取れるものであったようだ。山本勘助が記したとされる「老談集」には兵糧丸のレシピも載っているようだ。

現在、「兵糧丸」は小説やゲームの影響で結構な人が耳にしたことがあるはずだ。
徐々に体力が回復したりだとか、体力が尽きても半分まで回復したりだとか、一回食べれば数時間もつだとか様々な効果があるよう。まさに今の日本にうってつけではないか!

そんなわけで実際に作ってみようと思う。

実際に兵糧丸を作ってみた

なるべくその時代に近しいもので作ろうと思う。
そんなわけで「砂糖」は却下。入ってきていたとは言っても、まだまだ高級品なはずだ。そんな代物を携帯食に使うだろうか。本来であれば「甘草」や「甘葛」を使いたいところだが現在ではむしろこっちの方が入手困難なのである。なので「蜂蜜」で味を調えることにした。
大まかな材料はこちら
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今回は
蕎麦粉 100g
きな粉 25g
餅粉  25g
くず粉 25g
きび粉 25g
の蕎麦粉メインの配合で行うことに。

ここにカツオ節粉 1パック
黒ゴマ 大1
すりごま 大1
胡麻油 大1
酒 大3
蜂蜜 大3
きざんだ梅干し 5個
を別途投入。硬さをみながら水をたしこねる。

生地がまとまったら、ピンポン玉サイズにまとめる。
そして今回は「蒸し」で調理。20~30分蒸して完成。  

実食

完成したのがこちら
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なんだか黒糖団子のよう。
味は「ほぼ胡麻」。蕎麦の香りときな粉の香ばしさはどこかにいきました。
餅粉を少なくした関係からかやや硬めでべたつきは無し。
甘さは無し。煮つけにしてもそうだが、やはり蜂蜜大3程度じゃ甘くはならない。砂糖恐るべし。
咀嚼の途中、僅かに梅干しの酸味と鰹節の香りがするが問題なし。むしろ梅干しは程よいアクセントとなっていて意外と美味しい。鰹節は量的に主張は控え目。これで正解だと思われる。

肝心の腹もちだが、検証した結果「二つ食べて八時間は腹が減らない」という感じ。
※私が小食でした、ということはないのでかなりコスパは良いのではないだろうか。

「上杉家流」ではこれを乾燥させて酒につけてを繰り返す?らしい。余ったものは取りあえず乾燥させてまた食してみようと思う。また山の近くでは鶏卵を、海の近くでは干物を砕いていれることもあったそう。機会があればチャレンジしたいものである。

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昨今の戦国熱はとどまるところをしらない。一昔前まではマイナーだった武将も今ではゲームや大河の影響で一躍人気者となっている。

しかしながら有名な武将の影に隠れ、自身の手柄が他の武将のもののように語られていたり、存在さえ知られていない武将もまた多くいるのも事実だ。

今日は真田信繁に知名度も人気も押されがちな大坂の陣の功労者、毛利勝永を主人公とした小説を読んでみようと思う。

目次

  1. 作者の仁木英之ってどんな人?
  2. 毛利勝永とは?
  3. 「真田を云て、毛利を云わず」を読む
  4. オススメ度

作者の仁木英之ってどんな人?

仁木英之氏は2006年に「夕陽の梨」で第12回学研歴史群像大賞最優秀賞を受賞、さらに同年8月に「僕僕先生」で第18回日本ファンタジーノベル大賞大賞を受賞し、デビューした作家だ。

デビュー作であり代表作でもある「僕僕先生」はシリーズ化されており、これまでに9冊刊行されている。ちなみにこちらは太平広記をアレンジしたファンタジー小説となっている。

毛利勝永とは?

惜しまれつつも幕を閉じた真田丸から半年が過ぎようとしている。
その真田丸の中で毛利勝永を演じたのは岡本健一さんだった。が、牢人衆ということと信繁が目立ち過ぎ(主役だから当然)ということもあってやはり存在感が薄かった気がしてならない。

実際の勝永はどうだったか?
勝永は父吉成と同じく豊臣家臣として仕えた。関ヶ原では安国寺恵瓊の指揮下におかれたこともあり思うような活躍はできなかった。

その後領地没収となり一時土佐山内家へと身を寄せる。そんな中豊臣秀頼から招きを受け、土佐からの脱出を図る。ちなみに脱出の際、衆道関係であった山内忠義との関係を留守居役の山内康豊に暴露。混乱する康豊に「忠義が大坂に出陣したのだから私が助けに行くのは当然だ!だから大阪(包囲側=徳川方)に向かわせてくれ!」と頼んだようである。しかしながら皆さん御存じの通り勝永が向かったのは豊臣方である。これには忠義も激怒したそうで次男鶴千代・妻・娘は城内に軟禁されたらしい。
とっても簡単に、しかも誤解を招く可能性を覚悟の上で現代風に分かりやすく説明すると「彼女の父親に彼女との結婚届を見せ(しかも判も押してある)、彼女の元へ駆けつけると嘘を言い浮気相手の元へと駆けつける」ようなものである。これは忠義が怒るのも最もである。しかも領地没収後1千石もらって手厚く遇されていたというのに。ただ豊臣から受けた恩のほうが大きいということだろうけども、もっと他の脱出方法は無かったものかと気にはなる。

さて大坂の陣である。
豊臣譜代家臣ということで諸将の信望を得て「大坂城の五人衆」と称された。だが冬の陣では活躍できなかったようである。
だが、夏の陣である。夏の陣では道明寺で敗退した後藤基次の敗残兵を収容し大坂城へと撤退。天王寺口の戦いでは兵4000を率いて四天王寺南門前に布陣。本多忠朝から攻撃を受けると、これに反撃。忠朝・小笠原秀政・忠脩親子を討ち取ると、浅野長重・秋田実季(木像の話が有名な人)・榊原康勝・安藤直次・六郷政乗・仙石忠政・諏訪忠恒・松下重綱・酒井家次・本多忠純などの部隊を撃破。遂には家康本陣に突入するという活躍を見せた。しかし真田隊が壊滅すると戦線が崩壊。四方から攻撃を受けるも討ち取られる事無く城内へ撤退。秀頼の介錯を行った後、自身も自害したとされている。

ドラマでは荒々しい人のように描かれていたが、勝永は旧臣・浪人分け隔てなく、組下の者にもやさしい人物であったそうだ。

「真田を云て、毛利を云わず」を読む

この「真田を云て、毛利を云わず」は星海社から2013年に出たあと、おそらく大河にあわせてきたのだろうと思われるが、2016年6月に講談社から文庫化されている。その際元のタイトルを副題とし、タイトルを「真田を云て、毛利を云わず」に変更した。

さて戦国物である。昨今の戦国ブームを鑑みれば誰しも好きな武将一人や二人はいるであろう。私も戦国時代は好きだが、それは史実と史実の間の不明な点があるからである。解明されていない謎や不明瞭な部分に魅力があるのだ。なので、小説内でも多少の疑問はスルーできるのだが、行き過ぎるとやはり気になってくる。史実物であるならば、自身の妄想や想像は最小限に抑え、別のところで魅力を出すべきであろう。この小説はその悪い部分が出てしまっている気がするのだ。

この本を読んで気になったのは参考資料をどこから引張ってきたのか?である。単に私が無知なだけならば参考資料を読んで知識を深めたいという理由もある。が、やはり納得できない。
①当時の日本に甲冑を貫通し尚且つ拳大の大きさの穴が開くような火縄があったのかどうか?
→戦闘シーンを華やかという理由ならばもっと別の方法があったのではないか?

②竜造寺隆信の渾名の問題。
→どう考えても「肥後の虎」はおかしい。あえて「肥前の熊」を使わなかったのはなぜか?

③仙石秀久の問題
→長宗我部ファンや十河ファンに蛇蝎のごとく嫌われているのはわかる。が、あまりにも下げ過ぎるのはNGだろう。作者個人の心証が入ってやしないか。仙石がクズすぎるので全部責任を押しつけた感じの書き方は好きになれない。さらに、あいつは潮の事、船の事、何もわかっていないという場面があるが本当にそうだろうか?淡路島の大名が船や潮のことを全く知らないということはありえるだろうか。しかも淡路受領後は淡路水軍・小西行長・石井与次兵衛・梶原弥助ら複数の水軍を統括している。仮に何も出来ないただの暗愚を重要な場所に秀吉が置くだろうか。

④島津家久混同問題
→どうも読んでいると島津家久を作者が混同しているように思える。何も前情報なしに読むと上巻の「家久」と下巻の「家久」が同じ人物に思えてならない。どこかに注意書きがあってもいいものだがそれもない。それは作者自身が二人の「島津家久」を混同していたからではないだろうか。この時代の島津家には近い年代に二人の「家久」がいるのである。
一人は「島津四兄弟」の一人で軍法戦術妙を得たりと言われた「島津家久」。もう一人は島津義弘の子で初代薩摩藩主である「島津忠恒」改め「島津家久」。しかしこちらが「家久」と名乗ったのは関ヶ原後であり、かつ四兄弟の方の家久は1587年に没していることからもズレが生じている。

等々、所々気になるところはあるのだが、気にせず読めればそれなりに面白い本である。おそらく作者は西軍派なので、西軍ファンの方は概ね好意的に読めるだろう。
ちなみに「真田日本一の兵」と言ったのは先ほど出てきた「島津忠恒」である。が、この人は大坂の陣には行っていない。

オススメ度

オススメ度★★☆☆☆
面白さ★★☆☆☆
やはり所々腑に落ちない点があったのが悔やまれる。しかし一般的には知られていない武将の活躍する小説が増えることで知名度が上がるのは良いことだ。ちなみに毛利勝永だが、天下創生から変化がなかった顔グラがここに来てイケメンに変化している。能力値も大幅アップである。大河効果だろうか。
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