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最近は夜まで蒸し暑く、夏がすぐそこまで近づいてきているように感じる。
夏の風物詩といえば甲子園や西瓜、海水浴など様々だがやはりここは「怪談」だろう。

今日は和ホラー、つまり怪談系の話を書かせたら今の日本で右に出るものはいないだろうと思われる三津田信三氏の文庫最新刊「どこの家にも怖いものはいる」を見てみようと思う。

目次

  1. 家の中は安心か?子どもの間ではやったおまじない
  2. 「どこの家にも怖いものはいる」を読む!
  3. オススメ度

家の中は安心か?子どもの間ではやったおまじない

私が小学生の頃だったと思う。こんなおまじない?が流行った。
「家の中のどこに危険なものがいるか?幽霊がいるか?」
というものだ。

怖がりだった私は、今でもこれのやり方を覚えているぐらい怖かったのだが(家の中に誰かいるなんて信じたくない、知りたくないという気持が多分に働き今でも忘れることができない)、結局試してしまったのである。

当時私たちの小学校で流行っていたやりかたはこうだ。
①まず目をつぶり自分が家の前、つまり玄関の前にいるところを想像する。
②そのまま玄関から家の中に入り、各部屋を歩いてまわる(もちろん風呂場やトイレ、台所もだ)
③玄関から出て目を開ける。その際自分の家の中に人がいたか、いたならどこにいたか覚えておく。
④人がいた場所が霊や悪いものがいる場所である。


といったものだった。
結果は憶えていないし、憶えていても思い出したくもない。
しかしながら今日この記事を書くにあたって同じようなおまじない?があるのではないかと探してみた。すると似たものが何個か出てくるではないか。それらは窓を開けることになっているが、結果はやはり上記のものに近いものであった。上のものは自分に霊感があるかどうかのテストであったのである。

耳鳴りがしたらそばにいる、などもよく聞く話ではないだろうか?
また暗がり天井の隅隙間風呂場、そんなところに何かいる気配はしないだろうか?

こうしてみると、家の中は決して安全な場所だとは言えない気がしてならない。
だからといって「盛り塩」をするのは危険だ。これだけは言える。仮にあなたの家に「わるいもの」がいたとすると、盛り塩をすることであなたの家から出れなくなるのだから。

「どこの家にも怖いものはいる」を読む!

そんな本書「どこの家にも怖いものはいる」だが、作りは実話怪談風の構成となっている。つまりはいつもの三津田氏の手法なのだが、他の著書「のぞきめ」「忌館」などよりもグッと洗練されている気がしてならない。つまりより「境界」があいまいとなっているのだ。この「あいまいさ」というのが怖さを助長するのである。フィクションとノンフィクションの合間でこの小説は揺れ動く。我々読者はこの話が本当かどうかどうあがいても知ることができないのである。

しかしながら、本書は実際にあったことの体で進められていく。
また三津田氏は本を丸ごと使って我々読者を楽しませてくれる作家であるが、本書も例外ではない。
というのも本書の冒頭は、
『お願い
本書に掲載した五つの体験談について、執筆者ご本人またはご親族でご存じの方がおられましたら、中央公論新社の編集部までご連絡いただければ幸いです』

という文から始まるのである(本当にきたらどうするのだろうか?それはそれで話のネタが増えるのだろうが編集部は戦々恐々ではないだろうか?笑)。虚と実を混ぜ怪異を作るのが本当に巧みだ。この文を読むことで読者の頭の中に無意識のうちにでも「本当のことかもしれない」と植えつけることができれば大成功だろう。

さらに巻末の「参考文献」も見逃せない。
ファンであればもう見る癖がついているだろうが、初読の方は必ず目を通して欲しい。ますます怖く、そして境界があやふやになるに違いない。

さて中身だが、先にも述べたように本書は「五つの話」と二人の怪異の検討からなる。
その話は、
一つ目の話 「向こうから来る 母親の日記」
二つ目の話 「異次元屋敷 少年の語り」
三つ目の話 「幽霊物件 学生の体験」
四つ目の話 「光子の家を訪ねて 三女の原稿」
五つ目の話 「或る狂女のこと 老人の記録」

からなるのだが、どれも夜中に読みたくないのは共通している。
最も怖かったのは一つ目の「向こうから来る」である。これは子供部屋の話なのだがこういう空想や妄想、もしくは今現在そんな部屋に住んでいる、壁紙がそうだ、という人は私と同様これが一番キタのではないだろうか?もうそっちの方を見ながら部屋で生活できなくなる。

また「光子の家」は違った意味で怖い。
これは完全体で読んでみたいと思ったのだが(存在すればの話だが)、完全に新興宗教潜入ルポドキュである。しかもそこに謎の怪異が加わり余計怖い。というか不気味である。この五つの話は「家」にまつわる怪談なのだが、それにしても「光子の家」という名前からにじみ出る負のオーラはなんだろうかか?怪談話で「〇〇の家」というものは鉄板でもあるのだが、なぜこんなにも怖いと思ってしまうのか。人が住むことで様々なものが宿るということももちろんあるだろうが、日本人の持ち家信仰もここに加わりそうな気がする。長い間そこに住めばこそ、多くの喜怒哀楽の感情が家にも伝わるであろうからだ。なので「〇〇の家」と聞くと人の何かが籠もっていそうで、知らないうちに身構えてしまうのではないだろうか。

また三つ目「幽霊物件」は現実的な問題も含んでいる興味深い話である。
「心理的瑕疵物件」というものがある。
これは「通常一般人が嫌悪感を抱く物件」のことを言う。つまりは「事故物件・いわくつき物件」と言われているモノである。「事故死」や「自殺」、「他殺」「孤独死」はもちろんのこと、倒産、暴力団跡地、風俗跡などもこれに該当する。

これらに該当する物件は通常価格より安くなっていることが多く、また告知事項ありなどと小さく留まるにすぎないことも多々ある。通常は契約前「重要事項説明」時に告知を行う必要があるのだが、では業者はいつまでそれを説明しなければならないのだろうか?

借手や買い手からしたら「一生説明し続けろ!」と言いたいところだが、そうしてしまうと業者の負担が増えてしまう。なので通説ではこの「心理的嫌悪感というものは時間によって薄れていくもの」とされている。平成26年8.7日東京地裁判例では17年以上経過していること、また間に駐車場として利用されていた期間があることから買主の訴えを棄却している。また当然ながら売り手がその事実(瑕疵があったということ)を知り得なかった場合、つまり善意無過失であることが証明できれば損害賠償請求は棄却される。

が、20年以上経過した事例でも近隣住民には深く記憶されおり、嫌悪感は希釈されていないとする判例も存在する。なので結局のところ「告知義務の判断は個別具体的な事情を総合的に考慮して判断するという不明確な基準によるしかない」のだそうで、不動産会社は推奨10年と決めているところもあるようだ。しかしながら昨今の状況を鑑みるに、原則告知すべきという考えが広まってきておりダンマリをきめるということは少なくなってきているようだ。

では今回の「幽霊物件」だがこれは心理的瑕疵にあたるだろうか?
じつは当たらないのである。実際に「幽霊がでる!」というだけでは法律上、精神的負担にはならないとしている。なので学生に対して説明しなくても良かったことになる。もちろん、死者がでていれば別であるが。

長くなったがここで繫がってくるのが事故物件公示サイトを運営する「大島てる」だ。
この「大島てる」というサイトを怪談好きで知らない人はいないだろうが、完結に説明すると「日本各地の事故物件をサイトで公開し、いつ、どんな理由で事故物件になったかを簡潔に述べている」サイトだ。そんなサイトの運営者が六つ目の話として、本書の解説を行っている。ここを「解説」とせずに「六つ目の話」とするあたりもニクイ演出である。

ただ惜しむらくは小野不由実「残穢」と似ている感じがしてしまったことだろうか。お二方ともおそらく同じ参考資料を読んでいるに違いない。

オススメ度

オススメ度★★★★☆
面白さ★★★★☆
どこの家にも怖いものはいる。私たちが気づいていないだけかもしれない。
しかしカバーのイラストが怖すぎる!笑
どこの家にも怖いものはいる (中公文庫)

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