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カテゴリ:その他書籍 > 雑学・その他

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遠い昔の話のようだが、どこか近くに感じるのが昔話の魅力だ。
今でも多くの昔話が絵本になっているので、誰しもお気に入りの一つ二つあるのではないだろうか?

かつて「日本のグリム」と称された男がいた。
佐々木喜善である。
今日は彼の集大成とも言える本「聴耳草紙」を見てみようと思う。




目次

  1. 佐々木喜善~日本のグリムと呼ばれた男~
  2. 「聴耳草紙」を読む!
  3. オススメ度

佐々木喜善~日本のグリムと呼ばれた男~

その土地の風習や風俗、習慣や伝説、民話、民謡、家具家屋など古くから人の間で伝えられてきた有形無形の資料を基に、その歴史的変遷を明らかにし現在の文化と比較し説明しようとする。それが民俗学だ。

この民俗学にはやがて「柳田國男」「折口信夫」「南方熊楠」といった巨人が出現し、学問として成立していく。そしてそうした偉人たちの周囲には、また、傑出した人物が多く集まることになる。柳田が避けた(もしくは避けざるをえなかったか)「性」や「被差別民」に関する研究を重視した「宮本常一」もその一人だろう(但し彼の後援は「渋沢敬三」で柳田閥からは黙殺されていた)

そして誰もが一度は名前だけは聞いたことがある「遠野物語」。この成立に関わったのが「佐々木喜善」である。

佐々木は幼少の頃から怪談話を聞いて育ったこともあり、怪奇潭に興味を持っていた。そんな佐々木は妖怪学の講義を聴くために哲学館へと入学した。もちろん目当ては「妖怪学講義」を著し、当時「妖怪博士」などと呼ばれていた「井上円了」だ。しかしながら円了は「妖怪撲滅派」の人間である。そんな円了に幻滅した佐々木は早稲田大学文学科へと転じ、文学の道を志す。モダン的な作家志望だった佐々木喜善(当時のペンネームは佐々木鏡石)であるが、作家として挫折。そんな折、佐々木は柳田と出会う。そして佐々木が話したことを元にして柳田が「遠野物語」を刊行したのである。

その後は病弱な身体を押し、東北に古くから伝わる「オシラサマ」「ザシキワラシ」の研究や、400編以上の昔話を集めることで大きな功績を残した。死ぬまでに『紫波郡昔話』『江刺郡昔話』『東奥異聞』『農民俚譚』『聴耳草子』『老媼夜譚』などを記し金田一京助に「日本のグリム」と呼ばれるまでの偉業を残した。

「聴耳草紙」を読む!

この本は1931年に刊行された本で、今も子供に読み聞かせる絵本の原型となった話が数多く含まれている。また佐々木も冒頭で述べているように、細かく分類しようとすれば「和尚小僧譚」「生贄譚「冒険譚」「花咲爺型」「瓜子姫型」から「縁起由来譚」など様々な話に分類することができる。

さて中に目を向けると、目次を見るだけで興味深い話が多く載っていることがわかる。
「聞き耳頭巾」の類話であり本書のタイトルにもなった「聴耳草紙」、「打ち出の小槌」や「屁っぴり嫁」などは一度読んだこと、もしくはテレビで見たことがあるにちがいない。

また地方によって様々な言い伝えがある「鳥の話」
中でも「郭公と時鳥の話」なんかは有名だろう。内容はよく聴く「妹が姉を恨んで殺したが実は」というものなのだが、鳥となって飛んでいくというのがまたものかなしさを増しているように感じる。この時の鳴声、つまり何と言って飛び立つかが地方によって変わっているようだ。

ここのは多くのお話が載っているのだが、これらはすべて佐々木が土地の人々から聞いて集めたものである。昔はこんな話をポンポンと話せる人たちが側にいたのである。

しかし今はどうだろう?
現在自分が住んでいる土地にまつわる昔話を一つでも知っている若い世代や子供はいるだろうか?
そういった話を語り継ぐ土壌はあるだろうか?
その神社の縁起は?どんな神様が祀られているのだろう?

実際現地に行ってみて感じたことだが、これらは地方の祭ににもいえることである。
「古いもの」は時代遅れでダサいものだろうか。いや、決してそうではないはずだ。こういった文化や伝統は失ってからでは遅いのである。日本人が日本人らしくなくなっていく中で、いつか必ず過去に目を向けざるを得ない時がくるはずだ。そんな時にこの「聴耳草紙」が少しでも役に立つに違いない。


オススメ度

オススメ度★★★★★
面白さ★★★☆☆
全部で180話以上収められている本書。絵本の元となった話も多くあるので一度目を通してみてはいかがだろうか?
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最近では家紋を入れないお墓も増えてきているそうだ。
それにお墓のデザインも種類が増えてきて墓地もどこかモダンな感じになってきたように感じる。
使う石によってもまた雰囲気が変わってくるのもまた不思議だ。

それでも先祖のお墓や曾祖父・曾祖母などのお墓には「家紋」が入っていたりするのではないだろうか?幼い頃の私は「こんな薄気味の悪い場所にこんなに美しいものがあるなんて」と奇妙な印象を受けたことを今でも覚えている。

そこで今日はそんな「家紋」にまつわる本、泡坂妻夫「家紋の話」を見てみようと思う。




目次

  1. 家紋の展覧会!墓地と家紋とときどき私
  2. 「家紋の話」を読む!
  3. オススメ度

家紋の展覧会!墓地と家紋とときどき私

夜道墓地の脇を通る。昼間、木の陰で薄暗くなった墓地の脇を通る。
どっちもなんとなく薄気味悪くてよく後ろを振り返りながら帰ったものだ(後ろを見るのはあんまり良くない)

しかし小学生になるとお寺の子の友人ができ、よくその子の家に遊びにいった。
鬼ごっこや野球、チャンバラ。鬼太郎ではないけれど、墓場で運動会状態だったのである。今から思うと相当罰当たりなことをやっていたわけだ。

遊んでいるうちに墓場に対する悪いイメージも消えていき、お墓に興味が出てくる。
その時こそ家紋という言葉は知らなかったが、墓ごとに様々なマークが付いているのを気にはしていた。次第に日本史に興味を持ちはじめると、当然戦国時代にも惹かれ始める。そこでもまた家紋に遭遇したわけである。

本当に暇なときや、たまたま通りかかったときなんかは今でもこっそり覗いてみたりする。この墓場に行って家紋を見るのはもはや今では趣味になってしまった。

実際お墓を歩いてみると、本当に多様な紋があるのだ。そしてどれも美しい。
自分の家の家紋の名前だけでも知っているとなんだか過去と繫がった気がしてこないだろうか?

これからお墓参りシーズン到来だが、今ではなんと「お墓参り代行」なんていうものまであるらしい。そうまでして墓参りする意味なんかあるのだろうか、というかそれは墓参りなのかと疑問である。

「家紋の話」を読む!

そんなわけで前から興味を持っていた家紋についての本を手に取ってみたのだ。
縄文時代の模様から始まり、紋の誕生から紋の盛衰。そして紋の最盛期である江戸時代についても詳しく書かれており、たいへん勉強になる本だ。

また日本人の美的センスというか、「どういったものは紋にしてどういったものは紋にしない」というコダワリのようなものも見えてきて、今まわりにある日本の文化の一端、そのルーツを垣間見ることができる。

さらにこの本の良いところは「家紋がこれならあなたの家の先祖はこれ!」といった類の本とは違い、純粋に「家紋」について書かれていることだ。そもそも名字も家紋もほとんど明治までしか辿れないだろう。なので「純粋に家紋について知りたい!」という人は読んでいてきっとニヤニヤしてしまうはずだ。

もちろん図柄入りで説明されているので安心して欲しい。
木瓜や桐、菊、卍に巴などの有名どころからそんな紋があったの!?という驚きの紋まで様々なものが紹介されている。

例えば「土星」。ほんとにあの惑星の形をした紋だ。だれがどのように、何故土星をチョイスしたのだろうか?と様々な疑問が浮かび上がってきて面白い。
また「尻合せ三つ兎」や「後ろ向き三つ兎」「蟹牡丹」「踊り蟹」など本当にあるの!?とおもわず言ってしまいそうな紋まである。
この本を読んでいるだけで目が喜ぶのを感じるのだ。

私がいちばんツボったのは「ハーケンクロイツ」を紋として見た場合なんと呼ぶかである。
観光客の中にはいまだにこの卍を見て驚く人がいるとかいないとか。似ているけど違いますよね!
そんなわけで紋として作図した場合、ハーケンクロイツは『石持地抜き隅立五つ割り右卍』となるようです。すごい! そして泡坂氏曰く、「上絵師であればこれ(石持~)を聞けばハーケンクロイツを知らなくても同じように作図できる」のだそうです。恐るべき家紋・上絵師の世界!

そしてもう一つ驚いたのが、実際に過去の「紋章集」なんかは筆者が実際墓場にいって型をとったり書き写して集めたのだという。そんな努力があるからこそ今でも様々な家紋の名前が残っているのだろう。

西洋の紋章も確かにカッコイイが、たまには家紋の美しさに目をやってみたはいかがだろうか?

オススメ度

オススメ度★★★★☆
面白さ★★★★☆
この本の良いところは、やはり本職の上絵師でもある泡坂妻夫本人が書いていることだろう。
マジシャンでもあり、作家でもあり、上絵師でもある。やはり好奇心は何事においても重要なのだろう。
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国際情勢の緊迫が続く中、そんなことはほとんど報道せずに内閣支持率を下げようと必死になっているように感じるのは私だけだろうか。

とりわけ「加計学園」の偏向報道っぷりは酷さを増しているようである。
ただワイドショーやマスコミの報道だけを見ている人で「獣医学部新設を前向きに検討しだしたのが鳩山政権時代」つまり「民主党政権下」の出来事であると認知している人はどれだけいるのだろうか?

ちなにに自民党政権下でも提出されたがどちらも却下されている(福田・麻生内閣時)
こんな偏向報道をするマスコミひいてはマスメディアは本当に今の時代に必要なのだろうか?今日はそんな疑問を解決してくれるかもしれない本、「うわさが走る・情報伝播の社会心理」を見てみようと思う。




目次

  1. 歪められたうわさのイメージ
  2. うわさを研究する
  3. おしゃべりとしてのうわさ
  4. うわさの管理――企業とうわさ
  5. ニュースは誰が運ぶのか――マスメディアの終焉
  6. 電子メディア社会のうわさ
  7. オススメ度

歪められたうわさのイメージ

まず本書は最近出た本ではない。
初版は1997年。よって所々古いと思われるかもしれないがそこはご容赦願いたい(特にネット社会)

まず「うわさ話」と聞いてどんな想像をするだろうか?ネガティブだろうか。それともポジティブなイメージを持つだろうか。おそらく多くの人がネガティブなイメージ、つまり「うわさはうわさであって真実ではない」という立場に立つのではないだろうか。

しかしながら本書は『うわさは送り手、受け手両者のいる現実に即した、ある真実を伝えるメディアという立場』に立つ。

さらにまた『パーソナル・コミュニケーションの典型であるうわさこそ、主要なチャネルなのだ』という。

そしてその狙いは、個人の発信能力が低く評価されてきたことへの見直しにある。情報発信者としての我々自身を「うわさ」を通してもう一度考え直すというのである。

今はテレビ・新聞だけでなく、ネットでも様々な情報を得られるようになった。また個人のブログやツツイッターなどでも様々な情報が交錯している。さらに口コミでの勢い・拡散力は凄まじい影響力を持ってきているようである。

「どうしても伝えたい」と思ったものを人に伝えるコミュニケーションプロセスを「うわさ」とする。とすると「うわさ」こそ現代社会の情報発信のメディアと言ってもいいのではないだろか?

うわさを研究する

本書はうわさを三つに定義している。
・社会情報としてのうわさ(流言)
・おしゃべりとしてのうわさ(ゴシップ)
・楽しみとしてのうわさ(都市伝説)


ではこれらの「うわさ」を誰が広めていくのだろう?うわさは伝えた人が次の人へと伝えなければそこでストップしてしまう。「うわさ」が広がりを見せるためには伝える人も重要であるようだ。

しかしどのような人が「うわさ」を広めていくのだろう?
これには一貫した結果があるようで「不安傾向の強い人」なのだと言う。

またどのような「うわさ」が伝達されやすいのだろうか?これは
・信用できるうわさ
・ネガティブなうわさ(〇〇の値上がり・消費増税など)
・恐怖流言(不安を喚起させるうわさ)

がより伝達されやすいようだ。これは自分のブログやツイッターを少しでも広めたいという人にとっても役に立ちそうである。

そしてもっとも重要な要素、それが「あいまいさ」なのである。
明確な情報よりもどこかあいまいな情報の方が憶測を呼びやすい。

これこそ「加計学園問題」を例とすると考えやすい。つまり
「安倍首相の友人が理事を務める学園に獣医学部の新設が突然認められたらしい」という「うわさ」に「あいまいさ」が加わりこの「うわさ」は急激な広がりを見せているのである。

だがここで注意したいのは、この「あいまいさ」を我々に植えつけているのはどこなのか?ということなのである。ネット上を探せばいくらでもあいまいさを払拭できるような情報は出てくる。しかしそれを意図的にか、あるいは意図せずにかは不明だがマスコミは報道しようとしない。

この「うわさ」の伝達率の方式をマスコミが知らないはずはない。
「あいまいさ+うわさ」の伝達率の高さは本書で語られるシャクターとバーディツクの実験によっても明らかとなっている。とするとこれはマスコミによる世論操作であろう。

ちなみに本書ではうわさの考え方を「R~a×a」と定式化している。
「人に伝える可能性~不安×あいまいさ」である。

おしゃべりとしてのうわさ

我々が普段イメージする「うわさ」はきっとここになるに違いない。そして誰もが経験しているはずだ。いわゆる「ゴシップ」である。

「ゴシップ好き」というと女性に多いイメージを持つかもしれないが、レビンとアリュークの実験では女性の会話の内74%、男性の会話の内64%がゴシップであったと報告している。数字で見る限りではほとんど差はないと言っても良いようだ。

ちなみにゴシップとは
「ある人の資質や行動についてのその場の意見であり、多くは人から聞いたことにもとづいている。自分との関わりでは、取るに足りないし、とくに重要というものではない」と定義されている。

だからこそ芸能人のゴシップネタには週刊誌が飛びつくし、我々もネットや休み時間などにその話題で盛り上がったりするのである。

また「ゴシップ」は社会的制裁の意味を持っている。
本書でも『自分たちのやり方とちがうやりかたをとる人々、自分たちと一緒に行動しようとしない人々に対して、いってみれば、いやがらせをしている』と述べている。
また『裏で悪口を言うことによって、逸脱した行動を批判しているわけです。このことを通して、じつは、自分の所属する集団が共有している規範が述べられたり、規範の再確認がされるプロセスでもあるのです。このようなゴシップの交換は、個人の集団規範への同調をつくりあげるものとして機能していることは言うまでもありません』という。

例えば不倫をしてゴシップネタとなり炎上した芸能人Aがいたとする。
そこでネットでも盛り上がる。これに対してAの友人Bが庇ったため炎上した。

上の機能を見てみると、このBが炎上するのは当然だということが分かるだろう。なにせ「集団行動内の規範・道徳を再確認し、同調を作り上げていく」という作業中に集団の和を乱すような真似をしているわけである。

また「文句があるなら直接言え」と様々な芸能人が言っているが、ゴシップの定義の一つに「当人の不在」という条件がある。なので当人の前ではゴシップが成立しないのである。いないから様々なことが言えるのだ。なのでこれまたお門違いの文句と言える。

芸能人という立場上、様々な人から絡まれてストレスも溜まるのだろうがそれこそ「嫌なら辞めて」しまえばいいのである。一週間もすればほとんど記憶から忘れ去られるだろう。

本書はまさに芸能人の必読書と言えるだろう。

うわさの管理――企業とうわさ

また忘れてならないのが「企業のうわさに対する対処の仕方」だろう。
一歩間違えればネットが発達した現在ではすぐに破滅が訪れる。

自社に否定的な噂が広まってしまった場合の対処を企業はどのように考えているのだろうか?
この章には企業がうわさの被害をこうむった場合の対処方法はどのパターンが一番よいのか?ということが述べられている。
先ず一つ目が「否定戦略」
これはうわさそのものを否定する「攻撃的な戦略」だ。しかしここで重要なのは「うわさの内容をどれほど明確に否定できるか」だ。うわさの研究部分でも触れたが、少しでも曖昧なところが残ればたちどころに拡散してしまう恐れがある。事実一番効果が薄いとされている。

二つ目は「対抗戦略」
これは企業がいかに消費者のために有益な社会活動をしているかを積極的にアピールするという方法だ。ネガティブなイメージをポジティブなものに変えるのである。

見つめは「無視戦略」
どんな反応も取らず、うわさを流しっぱなしにしておき、自然消滅を待つというものだ。

自分がそうせざるを得ない立場に立った時、どのように動くのか。これは私たちの生活にも役に立つはずだ。あの時ああしていれば良かった。そんな思いがよぎりはしなかっただろうか?

ニュースは誰が運ぶのか――マスメディアの終焉

事実の隠蔽や、真実を語らないマスコミについて先ほども触れたが、実は過去にこんなことをしている。
93年の1月6日のことだ。この日臨時ニュースのため放送中の番組は全ての局で中止となった。そのニュースとは皇太子妃決定のニュースである。当時大きな話題となったに違いない。

が、マスコミは取材はするが報道はしないという報道協定を結んでいた。しかもアメリカのワシントンポスト紙が独自の取材で皇太子妃決定を摑み、当日名前入りで報道したのである。その結果、アメリカでは周知の事実なのに肝心の日本では未だ報道されていないという逆転現象がおきてしまった。

筆者はここで『日本のマスメディアは場合によっては、真実を伝えずに、情報を隠すことがあることを私たちに教えてくれた』と述べている。

これは今ではほぼ我々も知っている事実になっている。
そしてその不信感こそ「うわさ」にとって望ましい温床となりネットでの活動を活発にしたと言えるだろう。

今現在公平・公正に報道しているテレビ局・新聞紙はいったいどれほどあるのだろうか?
確かに情報は欲しい。しかしその局・新聞社の偏った意見を聞きたいわけではない。情報を与えるのはマスコミの役目かもしれないが、その情報が正しいかどうか吟味するのは我々視聴者の仕事だ。それを忘れてはならないだろう。

またこのような考え方もできるのではないだろうか?
各局とも偏った報道をしている中でなんとか真実を歪めないよう報道できれば、他の顧客を奪えるかもしれないと。今が脱却のチャンスである可能性が高い。

電子メディア社会のうわさ

筆者はこの章でネットワークの発達はこれまでとはことなる新しいコミュニケーションツールを作りだすと予測しているが、はたしてその通りとなっている。いまでは誰もが情報を発信できる媒体となれるのだ。いよいよ「うわさ時代」に突入しそうである。

オススメ度

オススメ度★★★★★
面白さ★★★☆☆
実は都市伝説を調べるために購入したのだが、様々なことが載っておりこれからの生活に大変役に立ちそうである。ネット社会が発達しつつある今だからこそ、この本を読んでみるのもアリだろう。
うわさが走る―情報伝播の社会心理 (セレクション社会心理学 (16))

川上 善郎 サイエンス社 1997-05-01
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昨今話題の「終活」。葬儀や墓などを事前に準備するこにとどまらず、「人生のエンディングたる『死』について考えることで自己を見つめ直し、今をよりよく生きる」ということらしい。

が、「死」とはやはり突然やってくるものなのだ。まさか死んでしまうとは自分でも思っていないのに「死」は突然訪れる。

今回は偉人やヤクザ、犯罪者など様々な歴史上の人物総勢800人以上の死に方を書きしるした山田風太郎の名著「人間臨終図鑑」を見てみようと思う。今回は角川版である。




目次

  1. 人間臨終図鑑・上
  2. 人間臨終図鑑・中
  3. 人間臨終図鑑・下
  4. オススメ度

人間臨終図鑑・上

人間臨終図巻 上 山田風太郎ベストコレクション (角川文庫)

山田 風太郎 KADOKAWA/角川書店 2014-01-25
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上巻は10代で死んだ人物から55歳で死んだ人物総勢324名を収録。
この本の特徴は年代・年齢が切り替わるごとに作者である山田風太郎、もしくは偉人の「死」に対する箴言・格言が添えられていることである。これがまたこの本を情緒あふれるものにしている。

例えば本書の始まり「10代で死んだ人々」では、鴨長明「方丈記」の言葉
『知らず、生まれ、死ぬる人、いずかたより来たりて、いずかたへか去る』という言葉が引用されている。この段で鴨長明は人生の無常、儚さを朝顔に例えて語っている。

しかしこの本がずっとこの調子真面目な調子で続くかというと決してそうではなく、所々に皮肉あり、笑いあり、読者を飽きさせないようにしている(ただ人間の死に際を書いているだけなのだが)
「47歳で死んだ人々」の章で添えられている山田風太郎の言葉
「臨終の人間『神よ、世界の終りの日の最後の審判などいわないで、いま審判して下さい。なぜ、いま、私が……』
神『では、いおう、最後の審判がいまだ』」

という言葉からもそのことが分かっていただけるはずだ。

以下、個人的に気になった人物を山田風太郎の言葉とともに見てみようと思う。
〈八百屋お七 15歳で死去〉
本書の一人目を飾る重要な人物である。

天和の大火(別名お七火事)で焼け出され、避難している間に寺の小姓・庄之介(もしくは吉三郎)と恋をし、店が再建され寺を引き払った後も恋心は募るばかりであったお七。
そこで彼女が庄之介に会いたいがためにとった行動が「放火」である。

そう、また焼け出されれば寺で会えると踏んだのである。しかし放火は大罪だ。お七は捕まり火あぶりの刑に処せられた。
徳川時代では数え年16歳から成人である。お七が放火した天和3年、お七は数え16歳となっていた。15歳であれば減刑されていたのだ。

しかしながらお七に関する史実の詳細は不明となっている。お七の実家が八百屋かどうかも不明だ。ただ当時この話が非常に人気であったようで、人形浄瑠璃や歌舞伎、落語などでこれを題目としたものが多く作られている。

〈石田吉蔵 41歳で死去〉
山田風太郎がこの図鑑の中で、幸福な死をとげた稀有な人間ベスト10の中の一人にあげているのがこの石田吉蔵だ。

昭和11年2月。割烹料亭吉田屋の主人であった石田は、その月のはじめから雇った女中・お加代と密通した。しかし二人の関係は石田の妻の知られるところとなり、二人は駆け落ちする。
行為の最中、石田は加代に首を絞めてほしいと言い出しお加代もふざけ半分それに応じた。どうやら石田はM気質だったらしい。

5月18日のことである。その日も石田は首を絞められていた。首を強く絞められすぎた石田の顔は鬱血している。お加代は石田が良く眠れるよう「カルモチン」を薬局で購入し石田に飲ませ、眠っている間に腰紐で死ぬまで絞めた。

『石田吉蔵は最後まで、絞められるのも例の遊びだと思っていたかも知れない。しかしまた、ほんとうに殺されてもいいと思っていたかもしれない。いずれにせよ、おそらく死の恐怖も苦悶もない、極限までの燃焼と消耗で、異次元の忘我と恍惚の中に、彼は息をひことったのであろう』
と山田風太郎は語る。

が、事件はこれで終わらなかった。
お加代は石田が死んだあと彼の性器を切断したのである。そして死体の太腿とシーツに「定、石田の吉二人キリ」と刻んだ。そして彼女は切断した石田の性器を逮捕されるまでの3日間持ち歩いた。

そう。御察しの通り石田の密通相手、お加代の本名は「阿部定」という。

人間臨終図鑑・中

人間臨終図巻 中 山田風太郎ベストコレクション (角川文庫)

山田 風太郎 KADOKAWA/角川書店 2014-01-25
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中巻では56歳から72歳で死んだ人物総勢307名を収録。
相変わらずの山田節はこちらでも健在だ。ここでも気になった人物を幾人か見てみよう。

〈玄奘三蔵 62歳で死去〉
貞観3年、インドの地へ仏教の原典を求めて長安を出発した青年僧がいた。玄奘三蔵、所謂三蔵法師である。彼はシルクロードを通り、翌年の冬にインドへと到着。以後12年間インドの地で巡礼と修行の日々を過ごす。貞観15年ついに帰国の途へつき4年の年月を費やして長安へと帰国した。この冒険が後の『西遊記』の元ネタとなっている。その後、インドから持ち帰った仏典の翻訳に生涯をついやした。

話題がそれるが西遊記といえば誰を思い浮かべるだろうか?
そう、やっぱり沙悟浄ですよね!
そんな沙悟浄は首から9つの髑髏を下げているのだが、これは誰の髑髏だか御存じだろうか?
実はこの髑髏、すべて三蔵法師の前世の髑髏なのである。三蔵法師は悟空たちと出会う前に9回生まれかわりいずれも天竺を目指すのだが、その9回すべてで流沙河で立ち往生し沙悟浄に喰われていたのである。10回目のトライでようやく難所を突破できたのである。日本では河童の妖怪として描かれることが多いが仙人、妖仙である。

〈江戸川乱歩 71歳で死去〉
晩年の乱歩はパーキンソン病と闘いながら、家族に口述筆記をさせるなどして評論・創作活動を行っていた。その後次第に病状が悪化、昭和40年7月30日に死去した。
どうやら著者・山田風太郎は名簿による電話の順番が「ヤ行」のため、臨終には間に合わなかったそうである。

その翌年、大下宇陀児が死に、2年おいて木々高太郎が死んだので「推理作家は五十音順に死んでいく」というブラックユーモアが流行ったと山田風太郎は語る。

「ヤ行の山田風太郎はひとまずほっとして、このことを横溝正史に話したところ、横溝は『それならぼくは風ちゃんよりもまだあとだ』」と語ったらしい。横溝の方が一枚上手か。

人間臨終図鑑・下

人間臨終図巻 下 山田風太郎ベストコレクション (角川文庫)

山田 風太郎 KADOKAWA/角川書店 2014-01-25
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最終巻である下巻には73歳から100代で死んだ人物総勢292名収録。
こちらで紹介する人物はもうこの人しかいない。
〈武者小路実篤 91歳で死去〉
武者小路実篤は「友情」「お目出たき人」などで知られる白樺派の作家だ。貴族院勅選議員でもある。

そんな武者小路実篤89歳のとき「うえの」7月号にゴッホの自画像について次のようなことを書いた。
『彼はその画をかいた時、もう半分気がへんになっていたろうと思う程神経質な顔になっていたように神経質な顔をして、この顔を見ればもう生きていられないような、神経質な顔をしていた。僕はこれでは生きていられないと思った。実に神経質な顔をしていて、もう生きていられない程神経質な顔をしていた

よほどゴッホの自画像がお気に召さなかったと見える

また翌年、90歳の武者小路は同じく「うえの」5月号に次のような文章を書いた。
『児島が、電車で死をとげた事を知った時も、僕は気にしながら、つい失礼してしまった。児島にあえば笑ってすませると思ったが、失礼して、今日まですごして来たわけだ。もちろん逢えば笑ってすませることだろうと思う。児島とあえば笑ってすませるのかも知らないが、児島の事を思うとつい笑ってすまない顔をしてしまうかも知れない。児島は逢えば笑ってすませる所と思うが』

この児島氏が誰かは私は調べていないが余程失礼したことを気に病んでいたのだろうか?

またこんなことも書いている。
『僕は人間に生れ、いろいろの生き方をしたが、皆いろいろの生き方をし、皆てんでんにこの世を生きたものだ。自分がこの世に生きたことは、人によって実にいろいろだが、人間には実にいい人、面白い人、面白くない人がいる。人間にはいろいろの人がいる。その内には実にいい人がいる。立派に生きた人、立派に生きられない人もいた。しかし人間は立派に生きた人もいるが、中々生きられない人もいた。人間は皆、立派に生きられるだけ生きたいものと思う。この世には立派に生きた人、立派に生きられなかった人がいる。立派に生きてもらいたい。皆立派に生きて、この世に立派に生きられる人は、立派に生きられるだけ生きてもらいたく思う。皆、人間らしく立派に生きてもらいたい

ここで山田風太郎が一言「脳髄解体」。
「これでは1回転ごとに針がもとにもどるレコード化した観がある」ともここで山田風太郎は述べている。この歳で文章を書けることも凄いことだろうと思うが、しかし山田風太郎が言う通り壊れたレコードのような感じを受けてしまう。

オススメ度

オススメ度★★★★★
面白さ★★★☆☆
不気味な印象を受けるかもしれないが、真っ当な本である。雑学を増やす、もしくは他人の死から今の自分を見つめ直したい人にお勧めの一冊だ。
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本を買う際ネットでオススメの物を買うことも多いのだが、そうしていると自分の本棚から自分の色がだんだんと消えていってしまう気がしてならない。

なので書店で本を買うときは
①ネットでオススメのもの
②立ち読みして面白そうなもの
③立ち読みもせず、タイトル・カバー・出版社のみで判断するもの
を合わせて買うようにしている。
そんな買い方をしていると、たまに出会う本が「壁本」である。
きょうはそんな「壁本」の素晴らしい世界を見てみよう。




目次

  1. 壁本とはなんぞや?
  2. 「戦国武将のカルテ」を読む
  3. 壁本度

壁本とはなんぞや?

簡単に言ってしまえば各ジャンルに存在している所謂「地雷」のことである。
「読んだ後、壁に投げつけたくなるほどどうしようもない本」略して「壁本」だ。
「壁本」の多くはミステリー界隈に多く存在している。というのもトリックが成立していない・結末に納得がいかない(無理矢理・ご都合主義)・設定がおかしいなどの本が結構数存在しているからだ。そんなわけでミステリーは壁本との遭遇率が高い。

しかしながら世の中には好んで「地雷」や「壁本」に挑む猛者もいるようだ。
そして私は「壁本」に遭遇してしまうのも読書の醍醐味の一つだと考えている。くじ引きのようで楽しいのだ。「壁本」がいてくれるからこそ、「良書」が目立つのである。

今後「壁本」も読んでみようという方は上記③の買い方をすると遭遇率が高まるはずだ。知名度の低い作家の帯に「衝撃」とか「驚異の」とか「どんでん返しの連続!」とかあったら要注意。そこには壁本の匂いが漂ってる。

「戦国武将のカルテ」を読む

まずこの「角川ソフィア」でぶち当たるとは思ってもみなかったので驚きが大きかった、というのが一つある。まさかここで引き当てるとは!出版業界は複雑怪奇であります!

この本は2008年に出たものを加筆修正して今年の2月に文庫化したものだ。
私が気になった点を順次上げていこうと思う。

①帯には「最新医学で戦国武将を診断」とある。他の出版社からも同系統の本は出ているが、角川ソフィアならより詳しく、面白い解説が読めるに違いないと思っていたわけである。

が、そんなことは全くない!最新医学なんて全く使っていないではないかい!
出てくる診断は癌!癌!癌!
大酒呑みは脳出血や脳卒中!

うん。それ別に医者じゃなくても見当つきませんかね?
日本人の癌による死亡率は相変わらず高い。昔もそうだったろう!と適当に書けば大体あたるはずである。

さらにタイトルに「カルテ」とあるにも拘らず、カルテらしきものや、詳しい詳述は一切ない。

②真田昌幸について
九度山に流されてからの昌幸である。
たしかに晩年、信之に宛てた手紙には「身体も弱り、なんとか自分を慰めたいから若駒を送ってほしい」というものがある。そしてその地で病没した昌幸を筆者は「無様」と切り捨てる。
が、果してそうだろうか。最後の散り際が良くないというのだが、では上田城合戦終了後切腹していれば良かったのだろうか。いやいや、九度山に流された当時昌幸がそこで終わりだと考えていたとはとても思えない。当然なんとか脱出し一泡吹かせようと考えていたはずだ。

さらに真田親子は当然当初は死罪だった。そこを本多忠勝・真田信之の助命のおかげで流罪となったのだ。それを考慮してもまだ筆者は「切腹すべき」と言うのだろうか? ここで切腹しては忠勝と信之の顔に泥を塗ることになるとは考えなかったのだろうか。

③宇喜多秀家について
関ヶ原後八丈島へ流罪となった秀家。そこでの秀家を筆者は「いつも飢えて死の臭いを放つ秀家は厄介者で扱いも粗略だった」と記述している。
島民からも疎んじられ、餓死寸前であった宇喜多秀家が八丈島で分家を三つもおこし、さらに84歳までも生きられるものだろうか?

ここでは八丈島の宇喜多秀家へ前田藩から仕送りがあったことは一切触れていない。
さらに迷惑な厄介者と書かれているが、実際のところは高貴な身分ということで厚遇され、島の役人とも婚姻関係があったようである。さらに筆者は「仏門に深く帰依した僧侶であったと考える」と述べているが、それなら秀家を疎んじるということはさらに無くなるはずである。

ちなみに佐渡への流罪は地獄だが、八丈島は比べると天国のようであったらしい。

④諸所の細かい武将の上げ下げ
簡単に言ってしまえば2008当時から時代が止まっているのでその武将に対する考えが古い。信長下げ・義元下げは酷い。特に義元の「すごいデブだから馬に乗れませんでした」というのは酷い。そのような説が根強く残っているのは事実だが、それが事実かどうかも分からないしほとんどが後世の創作と言われている。実際甲冑姿の肖像画にはそんなイメージは全くない。せめて「~という説もある」とすべきであった。

⑤作者の個人的思想・現代人の思想の押しつけ・個人語り問題
これが一番の問題で、当然当時の武将や人間たちがどう考えていたかという立場から考察すべきであるのに、現代の日本人の視点や価値観からこうだ!と決めつけている個所が多々ある。
たとえば「籠城の際熱い風呂や温かい布団で寝れなければストレスが溜まってしまう」とあるがこれはどうなのだろうか。当時戦に参加していた武将や農民は皆「熱い風呂に入って温かい布団にくるまれて寝る」という生活を送っていたのだろうか?

また「切腹」・「討死」・「老衰死」は良いが、「刑死」・「病死」は無様というのはどうなのか。
特に老衰死と病死は非常に曖昧だ。作者の立場になって考えると切腹すれば皆あっぱれとなるがそれでいいのだろうか。

さらに「人が死ぬと殯を催し~」とあるが「殯」は基本皇室や貴人の葬送儀礼に使う言葉だろう。この書き方では一般人のあいだでも「殯」という文化が浸透し、言葉も使われていたと見られかねない。
一般人の場合は「殯」を使わなくとも鳥葬なんかが近いのではないだろうか。

最後にこの「8章」はほとんどが自分語りである。武将のカルテとはほぼ関係ない。これではこのテーマで書こうと思ったが書けなかったので自分語りをしました!と思われても仕方がない。

※あくまで個人の感想です

壁本度

壁本度★★★★☆
角川ソフィアで壁本に遭遇するとは思っていなかったので衝撃は大きい。星5にならなかったのは頁数。268Pと少ないので時間の無駄を省ける点がマイナス1に繫がった。
戦国武将のカルテ (角川ソフィア文庫)

篠田 達明 KADOKAWA 2017-02-25
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書店をふらふら歩いていると、偶然思わぬ発見をすることがある。その本が当たりであれば得した気分にもなれるものだ。

今回紹介したい本はそんな偶然から発見した本「毒草大百科」である。名前からして怪しげな本を今日は見てみようと思う。




目次

  1. 「人を死に至らしめる植物」
  2. 「人を狂わせる植物」
  3. 「人を苦しめる植物」
  4. 「個性的な毒を持つ植物」
  5. 「毒草栽培のための知識と設備」
  6. 「毒草を利用する」
  7. オススメ度

「人を死に至らしめる植物」

内容に入る前にまず帯を見て欲しい。
そこには「毒草の入手法、栽培法、利用法―全ての毒草を写真や図で解説―」とあるのだ。これを見て買わずにいられるだろうか? おバカ本なのか、至極真っ当な本なのか? というか、「利用法」ってなんだよ、と(しかしながらミステリーの創作には使えるかもしれないが)思わず突っ込みが入る。

この本は6章構成となっている。それぞれの章から気になったものを一、二個抜き出してみようと思う。

「彼岸花」
個人的には日本で一番人を殺害した植物なのではないかと思っているこの彼岸花。秋になると美しい花を咲かせるこの植物、実は毒がある。しかしながら日本では飢饉の際の非常食として用いられていた歴史があるのだ。いわば最後の砦である。含まれる毒の多くが水溶性のため念入りに下ごしらえをすれば食べられないことはないのだが、十分でなかったりなどで死に到るケースが多かったようだ。

さて本書での見どころはやはり「入手方法と栽培方法」だ。これが面白い。
入手方法は園芸店での購入である。そう、買えてしまうのである。「8~9月は赤い花の品種なら球根三つで600円前後」と値段まで教えてくれているあたり非常に親切である。しかも「白やピンクなどの珍しい色の場合は1球で500円となる」となるらしく、値段は高いが奥井氏はこちらをオススメしている(ん?なんの本だっけ?)ちなみに採取する場合は5月に球根を痛めないように採取するのがベストらしい。

栽培方法はというとなんと丈夫なので栽培は簡単とのこと。そう、素人でも簡単に栽培できてしまうのである。さらに鉢替えのタイミングや栽培のポイント、肥料の有無なども詳しく説明されており大変心強い。

ちなみに中毒症状は嘔吐・悪心・下痢・脱水ショックなどである。

「人を狂わせる植物」

「ベニテングタケ」
この「人を狂わせる植物」の章は大変面白い章で、ヤバさもMAXなのだが、比較的内容が安全であったこちらを見てみよう。
「毒キノコ」と言えばやはりこの「ベニテングタケ」か「カエンタケ」を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。見た目が「あのスーパーキノコ」にそっくりである。またディズニーの映画などにもこの赤と白の可愛らしいキノコはしばしば登場している。

入手方法は残念だが店舗に置かれることはないかつ、今回はキノコというだけあり個人での栽培は難しいので自然の恵みを待つのがベストとのこと。しかし、自生地で有名な場所を掲載してくれている。
またこれは有名な話でもあるが、毒キノコは旨味成分を多く含むものが多い。そしてこの「ベニテングタケ」も例外ではなくグルタミン酸の20倍の旨味成分を持つイボテン酸が含まれている但し毒物である)。どうやら海外では酒に漬けて薬用として飲む場合もあるようだ。

またトリップを楽しみたい場合の調理方法の諸注意や、どれだけ食べたら死ぬかの本数の目安まで掲載されている。症状としては失調・昏迷・錯乱・幻覚・麻痺など。

「人を苦しめる植物」

「ジャガイモ」
様々なものに加工され皆に愛されている「ジャガイモ」。去年の台風の影響で今年はジャガイモの収穫が減り、ピザポテトなどが店頭から消えてしまった。

そんなジャガイモであるが、入手方法はやはりスーパーである。値段もしっかり記載されていて面白い。
また栽培するならスーパーのジャガイモではなく、園芸店で販売されている「種芋」にせよとのアドバイスも嬉しい。栽培方法に関しては「小学生の時のことを思い出せ」と一言。しかし、多くジャガイモを収穫するためのコツなども記載されており、自宅でジャガイモを栽培しようと言う人は一度読むべき本だろう。

ジャガイモの芽が毒だ、という話は皆知っていることだろう。しかし奥井氏が警告するように、ジャガイモの芽の毒性を熟知している人は少ないのではないだろうか?
保有する毒の成分はソラニン。主にジャガイモから出る芽に含まれている。その中毒症状は恐ろしく、嘔吐・下痢・食欲減退・呼吸困難・昏睡などから死にいたることもある。

この問題の「芽」であるが、ずぼらな人なら経験があるかと思うがほったらかしにしておくと勝手に生えてくる。なので容易に採取できる。 また、日光に良く当てるとよりよいソラニンが形成されるらしい。だが安心して欲しい。ソラニンは熱で簡単に分解されてしまうのだ。

「個性的な毒を持つ植物」

ここでも様々な植物が紹介されている。
驚きなのが「ポインセチア」の発がん性というもの。茎や葉を傷つけたときに出る白い乳液に「フォルボール」が含まれているとのこと。

この「フォルボール」は水ぶくれや炎症を起こすだけと考えられてきたが、研究の結果発がん性作用があることが判明したそうだ。理論的には「焦げた焼き魚を食べた後、デザートにポインセチアを食べればガンになる」とのこと。

「毒草栽培のための知識と設備」

本書の最大の見どころであるのがこの章だ。
私は現在市販の種からアボカドを育てている最中なのだがこの章の内容は非常に役に立つ。奥井氏の植物栽培への情熱が見てとれる。

特に「用土の種類と特徴」は必見だ。8ページに渡り、土の成分から利点と欠点をあげ組み合わせなどを書き連ねている。さらに市販されている培養土が植物に合っているかどうかきちんと調べることと読者には念押し。オリジナルの培養土の作り方なども載っており園芸初心者には非常にためになるものである。

また植物の病気やその対処法、害虫駆除の方法も細かく記載されている。

「毒草を利用する」

利用方法についても勿論記載がある。
利用するための抽出方法や作成方法(煎剤・青汁・酒剤・浸剤・散剤・塗布剤・入浴剤)などであるが、その作業の時の注意点も細かく書いてあり、面白く読める。

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現代はストレス社会である。ふとした拍子に自分の口から「毒」が漏れていないだろうか?

ネットを見れば、知名人から一般人まで呪詛の言葉を吐かれていない人間はおよそいないのではないかとも思えてしまう。

が、「呪い」というのは今に始まったことではない。日本の歴史と共に歩いてきたとも言えるだろう。そこで今日は「日本呪術全書」を見てみようと思う。

目次

  1. 現代人と「呪い」
  2. 「陰陽道」の呪術
  3. 「神道」の呪術
  4. 終わりに~人を呪わば~

現代人と「呪い」

私自身「呪術」や「呪い」といったことを信じているわけではない。しかしながら京都やその他の地にある「縁切り寺」を思い出してみて欲しい。今でも多くの人が病気や悪い男・女との「悪縁」を断ち切るために訪れている。しかしそういったまともな願いの中に「AとBの縁を切ってくれ」というものも混在している。

様々なしがらみに囚われながら生きるしかない世の中である。自由になるには自由の概念の外へ行かなければならないだろうが、そんな人はまずいない。とするならば、我々は誰かを恨んだり、妬んだり、「あいつさえいなければ」とか「不幸になればいい」と心のどこかで思いながら生活しているはずである。そう考えると、私たちは「誰かを呪う素養・素質」があるということではないだろうか?

「呪い」など信じていないと言っておきながら、「呪いの手紙」や「不幸の手紙」といったものが消えないのはなぜだろう。例えば親しい友人・知人に「あなたを呪っている人がいるって噂が流れている」と聞かされたらどうだろう。ドキッとしないだろうか。ここでもやはり信じていないとは言いつつも、完全には呪いの存在を捨てきれていないことがわかる。それはつまり「自身が呪われる素質も持っている」ということではないだろうか。

さらに「呪い」とは一人いればできてしまうのである。つまり自分自身がいれば呪うことはできる。というのも呪う側は最初からその効果を信じているだろうし、呪われる側は呪いの存在を知らないのだから。このような関係を見つけようと思えば自分のまわりに簡単に見つかってしまうのではないだろうか?

そんなわけであなたは誰かに呪われているかもしれないし、その人物はあなたが苦しむ様をみて悦んでいるかもしれない。しかしまた、あなたの呪いに苦しんでいる人物がいるかもしれないのだ。
※ちなみに実際に「呪い」の行動をとった場合、器物破損や不法侵入、脅迫罪や傷害罪などで訴えられる可能性がある

「陰陽道」の呪術

そのことを踏まえた上で陰陽道にはどんなものがあるのか見てみよう。
そもそも陰陽道とは古代中国の陰陽五行説を基とし、そこへ易や民間信仰が結びついて六世紀頃日本へ伝来したと言われている。天文・暦数・占筮・相地を扱い、吉凶禍福を察して祭祀や方術を行い災いを避け、呪詛や呪殺なども行われていた。現在でも高知県物部村では「いざなぎ流」として生き残っている。

・「撫で物」
紙で作った人形で自身の身体を撫で、最後に息を吹きかける。毎年この行為をしている人は今でも多いのではないだろうか。それらのルーツが陰陽道の撫で物であると考えられている。つまりは自身が持つマイナス要素を人形へ移すのである。

・「物忌み」と「方違え」
平安時代の貴族社会では、嫌な夢を見たときや、何か不吉なことがあって気になる場合、門を閉ざし、数日外出せずに身を慎みながら、家の中に引き籠もっていることがあった。それを物忌みという。
それともう一つ、よく出てくるのが「方違え」だろう。こちらは自身が向かう方向が凶方である場合、別の方角を経由して目的地へ向かう手段のことを言う。「御堂関白記」や「枕草子」「源氏物語」などでよく出てくるので実際どんな感じだったのか見てみるのも面白いかもしれない。

この本にはさらに呪文や呪いも数多く載っている。
・「生業繁栄の呪言」
毎朝、朝日を拝したのち、八回唱えれば、自然に生業が繁盛して金銭に困ることはないというもの。曇りや雨の日でも日の出の方向に向かって言うのが原則。
「金伯五金の気を呼び、全家の軸となる。百幸千福、甲(○○家)の金箋に集まり、五方化徳、大皓金神、願わくば兆家(○○家)に留まらんことを。奇一天心、奇増万全」

「神道」の呪術

延喜式に国津罪の一つとして「蠱物せる罪」というものがある。蠱物とは呪術のことである。このことからも、古くから日本では呪術が広く行われていたことを知ることができる。
人形に釘を打ちこみ呪いをかけたり、呪いの藁人形を火の中に投げ仲違いさせる方法、さらには神社の社殿の下、墓地、四辻に埋める方法などもあったそうだ。神道で言う祟りとは本来神が現れる徴を意味していたが、時代が下るにつれ神罰を指すようになったようである。

・「丑の刻参り」
呪いと聞いて多くの人が思い浮かべるのがこの「丑の刻参り」ではないだろうか。漫画やドラマ、ゲームの影響で多くの人が一度は聞いたことがあるに違いない。しかしながら「正確な丑の刻参りの方法」を知っている人はどのくらいいるだろうか?
実際は一日ではなく七日間の日程が必要である。藁人形と五寸釘、鉄槌を用意し、白衣と神鏡を身に着け一枚歯(あるいは三枚歯)の高下駄を履き、女性なら櫛を口にくわえ五徳を逆さに立てて三本のローソクを立て頭にかぶり、道中決して人に見られてはならないなどである(ちなみに見られたら死ぬと言われている)。さらに藁人形の製作にも規定があり(月によって使用する草が違うなど)それはもう細かい伝承が残っているらしい。
そして「丑の刻参り」と言えばやはり「貴船神社」であろう。今でも釘が打ちこまれることがあるという貴船神社。私が行った日が偶々雨だったせいもあるが、なかなかに雰囲気のあるところである。さらに「宇治の橋姫」伝説にも貴船神社は登場している。

・「幽冥神語」
縁結びの神であり、幽世の大神とされる大国主命の神徳を仰ぐ方法。困った時に三度唱えれば救済が施されると言う。
「幽世の大神、憐れみ給い恵み給え、幸魂奇魂、守り給い幸い給え」

終わりに~人を呪わば~

人を呪ってしまうような、そして人から呪われるような生活はしたくないものである。
人を呪わば穴二つ。呪いを掛ければ必ず自分にも返ってくる(それも倍になって)というものだ。
が、呪いとはお互いを規制するための道具であったとも言える。その道具を手放して久しい我々は今後どのように自分の中の「呪い」と向き合っていくことになるのだろうか。
オススメ度★★☆☆☆
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図説 日本呪術全書

豊島 泰国 原書房 1998-09-01
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我々日本人は日本に住んでいながらも、日本の文化をほとんど知らないのではないだろうか?

例えば「和菓子」だ。季節によって販売されているものが変わるが、その菓子が持つ意味を外国人に訊ねられて答えることができるだろうか。

急激な欧米化が進み、その過程で忘れられた、あるいは捨てられた日本文化。そんなものも多くあるに違いない。今日は我々が忘れつつある日本の「和」と「美」を再認識させてくれる本を見ていこうと思う。

目次

  1. 刀―KATANA―
  2. 盆栽―BONSAI―
  3. 和菓子―WAGASHI―
  4. 金魚―KINGYO―
  5. 妖怪―YOKAI―
  6. オススメ度

刀―KATANA―

刀 KATANA ジャパノロジー・コレクション (角川ソフィア文庫)

小笠原 信夫 KADOKAWA/角川学芸出版 2016-02-25
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昨今ゲームやなんかで色々と人気沸騰中なのが「日本刀」だ。なんでも刀に萌える刀女子が急増中なんだとか。

そんな日本刀の写真とともに、解説が載っているのがこの本だ。古くは聖徳太子の佩刀とされる「丙子椒林剣」から大坂正宗とも称された「井上真改(刀工)」までメジャーどころからマイナーな刀まで色々と載っている。特に刃文の美しさに注目したい。

だがこの本は刀カタログではない。よって種類が豊富に載っているとは言い難い。またジャパノロジー・コレクションの中では解説が少ない方なので、専門知識とまではいかないが、入門的な知識が事前にないと苦労するかもしれない(私は結構苦労した)

日本刀は「美」の象徴でもあると同時に日本人の「精神」の象徴でもあったはずだ。武士のような生き様が素晴らしい、と手放しな賛同はし難いがこの日本刀が象徴するようなものは是非とも自分の中に持っておきたい所存である。

また自分ではそう思っていないのに、気がついたら刀に手が伸びていた、そして何か斬って見たくなった、という話を聞いたことがある。この本を読みながら写真を眺めていると、確かにそんな「怪しい美」が日本刀にはあるように思える。私は日本刀にまつわる様々な逸話も個性的なものが多く好きだ。歌仙兼定とか。あなたはどんな日本刀がお好きですか?

盆栽―BONSAI―

盆栽 BONSAI ジャパノロジー・コレクション (角川ソフィア文庫)

依田 徹 KADOKAWA/角川学芸出版 2015-03-25
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爺臭い。そう思ってはいないだろうか?
今ではもうほとんど町中では見なくなったと言っていい「盆栽」。昔はそれこそ塀や家の前に盆栽が置かれていたことが多かったようだ。そして盆栽にはセットで雷親爺のイメージがついて来るのは私だけだろうか?(きっと日曜午後六時半のアレのせい)

しかしそんな悪いイメージも本書を読めばたちどころに吹き飛ぶはずだ。
「自然美」と「人工美」を融合させたものがおそらく「盆栽」なのだ。

まずは見て楽しむ。本書にも様々な盆栽が載っているが、盆栽それぞれに違った形や色があり、見ていて飽きない。盆栽の形は当然人の手が入っているが、それが同じ盆栽であっても育てる人物が違ったり、手入れを怠ると形が変わってくる。

だが見て楽しむだけでは十分ではないことが本書を読めばわかるはずだ。そう。実際に自身の手で盆栽を作り、育てて楽しむ。これが重要なのだ。筆者の依田氏も言っているが、日本人が楽しまずに海外に普及させて何が日本文化だろうか。クールジャパン大いに結構。しかしその前に我々自身が楽しむこと。それが一番重要なのではないだろうか。英語を話せても中身がなければ話せないのと同じことである。

ちなみに最近では女性のあいだで「ミニ盆栽」なるものが密かなブームらしい。画像を見ると確かに可愛らしいものが多く、値段も手ごろだ。この機会に盆栽にチャレンジしてみてはいかがだろうか?

和菓子―WAGASHI―

和菓子 WAGASHI ジャパノロジー・コレクション (角川ソフィア文庫)

藪 光生 KADOKAWA/角川学芸出版 2015-01-24
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和菓子といえばあんこ。あんこといえば和菓子。だがそれだけが和菓子ではないのである。
洋菓子が入ってきてからは目に見えてその勢いに押されている和菓子。そもそもあんこが苦手だと言う人が私の周りには多い気がする。あのベタッとした甘さが苦手らしいのだ。

しかしながら本書ではあんはあんでも様々なものがあることをしっかり説明してくれている。美味しいあんは口溶けが良く、粘り気があるように見えてもスッとなくなる。さらに求肥や葛などの爽やかな食材や、それらの組み合わせで目にも鮮やかな和菓子が生まれることも書かれている。

和菓子は五感の芸術である」とは虎屋十六代目当主・黒川光朝氏の言葉だ。
和菓子にはそれぞれの時季にしかでない菓子がある。その菓子が店頭に並ぶことで、季節がやってきたことを感じ取る。

二十四節季七十二候それぞれに対応した和菓子があるそうだ。これは平安の昔から時季の移ろいを気にかけていたからこそ発生したものではないだろうか。その和菓子を食べながら風景を楽しむ。そんな休日もたまにはいいかもしれない。

金魚―KINGYO―

金魚 KINGYO ジャパノロジー・コレクション (角川ソフィア文庫)

岡本 信明,川田 洋之助 KADOKAWA/角川学芸出版 2015-07-25
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今回の本の中で一番おすすめしたいのがこの「金魚」である。
もうすぐ祭の季節がやってくる。出店の定番と言えば金魚すくいだろう。私は定番の和金や出目金、らんちゅうぐらいしか知らなかったが、この本では様々な金魚に出会える。
読んでいてすぐこの本の虜になると思う。なんてたって金魚がとても可愛い!愛くるしい!

縁日で見るような金魚しか知らなかったのだが、意外にも金魚の種類は多い。中国から入ってきた物らしいが、外の文化や技術を日本流にアレンジするのは昔から得意とするところだったようだ。

本書に出てくる金魚たちは皆違った表情をしていてとても美しい。らんちゅうや江戸錦に東錦……。本当に見ているだけで癒やされる。

さらに本書の良いところはその解説の丁寧さだ。事前知識なしでも楽しく読める。
また、頂点眼という金魚には衝撃を受けた。こんな金魚がいるとは驚きである。その顔を見ていると日常の嫌なことを忘れさせてくれるようだ。

妖怪―YOKAI―

妖怪 YOKAI ジャパノロジー・コレクション (角川ソフィア文庫)

小松 和彦 KADOKAWA/角川学芸出版 2015-01-24
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説明や語りのうまさに定評がある(そう思っているのは私だけかもしれないが)小松和彦氏監修である。

本書は特に「見て楽しむ」ということに重点を置かれている。確かに解説も面白いがやはりメインは妖怪たちが描かれている絵図だろう。内容も妖怪初心者向けで、それこそ小学生が読んでも楽しめる出来になっている。また、この本を読んで「妖怪と幽霊はどう違うのか?」と疑問に思った方は小松氏の著書「妖怪学新考」や「日本妖怪異聞録」がおすすめだ。

日本人が、いや近代人が、妖怪というものを信じなくなって久しい。きっとそれには井上円了の活躍が大きかろうと思われる。しかし、信じなくなったといっても「妖怪達」は我々日本人のすぐそばにいるきがするのだ。でなければとっくに妖怪の話題なんぞしないはずだし、「妖怪ブーム」なんてものも起きていないはずだ。なぜそれほどまで「妖怪」は老若男女・老い若いを問わず私たちの気を惹くのだろうか?それは本書を読めばきっとわかるはずだ。

本書には様々な絵図が載っているが、個人的には屁をして相手を退治する図や、異種合戦の様子が印象に残った。

オススメ度

オススメ度★★★★★
面白さ★★★★☆
合計★九つ
このシリーズは全部で11冊あるそうだ。他にも面白そうなものがたくさんあったので自分のお気に入りの本を探してみるのも一つの手だろう。
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今現在、自分の家、もしくは自分の部屋に何冊の辞典があるだろう。 まだ捨てていないという人はおそらく三冊、国語辞典・英和辞典・古語辞典ではないだろうか? 

そもそも現在ではネットで調べればすぐ単語の意味は出てくる。持ち運ぶんだったら電子辞書。そもそもアプリが入っている、そんな感じではないだろうか。

しかしながら本書には他の形態の辞典を貶めることなく、紙辞書について熱く語られている。我々の今後の人生を一変させるかもしれない、そんな本書を今日は見てみようと思う。
※私は本書を読んですぐ書店へ向かった。まさに目から鱗の本である。こんな本を書いてくれて本当にサンキュー!と言いたい。


目次

  1. サンキュータツオとはいったい誰なのか?
  2. 「国語辞典の遊び方」を読む
  3. 実際に遊んでみた
  4. オススメ度

サンキュータツオとはいったい誰なのか?

この読むからに怪しげな人物「サンキュータツオ」とはいったい誰なのだろうか。

これが現在のネット社会のありがたいところである。ググれば簡単に出てくるのだ。簡単にまとめさせていただくと、オフィス北野所属の芸人さんである。ピンではなくコンビを組んでおりコンビ名は「米粒写経」芸人として活動する一方で一橋大学の非常勤講師も務めているという人物である。

趣味が高じて本を出した、というよりも学者が趣味で芸人やってるの方がしっくりくる。

ちなみにもう一つの著書「へんな論文」も読んでみたがそちらも大変面白かった。そしてせっかくなので漫才を調べて見てみたが非常に面白い。特に歴史好きにはたまらないはずである。こちらもぜひ見て欲しい。

「国語辞典の遊び方」を読む

では実際に読んでみよう。
本書は一章と二章に分かれており、一章では辞典の成り立ちから多様化にいたるまでの説明を突っ込みや解説つきで面白おかしく説明している。特にそれぞれの辞典の違いについて語られているところは非常に面白い。

私自身、辞典なんてどれも同じことが載っているだろうと思っていた口なので(よくよく考えてみると、それならば各出版社が競うように辞典を出す意味がないではないか)各辞典の特色、掲載語の選定法、または編者による個性など楽しく読むことができた。

辞典についての本ということで固めな文章が続くのだろうか? という人は安心してほしい。そこはさすが芸人である。飽きさせず、それでいてわかりやすく解説してくれている。

さらに二章では著者自らが選んだ辞典を男性キャラクターに例えて解説してくれている。(おそらくこれは著者がBL好きであることも関係しているのだろう)たとえがとても的確である。こういう風に解説してくれると、普段身近に感じない辞典との距離がグッと縮まるような気がするのは私だけだろうか?

実際に遊んでみた

そんなわけでこの本を読み終わった私は早速書店へ走った。無論辞典を買うためである。DSC_0104
そして「新明解国語辞典 第七版」「ベネッセ表現読解国語辞典」「明鏡国語辞典 第二版」をゲットした次第である。

せっかくなのでこれを使って読み比べをしてみたい。以下すべて上記三つの辞典それぞれからの引用となる。

本書内では「恋愛」について触れられているので、ここは「恋愛」を分解してまずは比べてみようと思う。
≪恋≫
「新明解」……『特定の異性に深い愛情をいだき、その存在が身近に感じられるときは、他のすべてを犠牲にしても惜しくないほどの満足感・充足感に酔って心が高揚する一方、破局を恐れての不安と焦燥に駆られる心的状態』
「明鏡」……『特定の異性(まれに同性)を強く慕うこと。切なくなるほど好きになること。また、その気持ち』
「表現読解」……『男女の間で、相手に強く引かれ、慕う気持ち』

並べてみると改めて思うが、かなり差異がある。「新明解」はかなり主観が入っているようで、読んでいて面白い。「明鏡」は現在の社会の状況に合わせてきたのだろう、他の二冊が男女間と限定しているのに対し、同性でもあり得るというところに編者の考えが見えるようだ。「表現読解」は解説こそあっさりだが、「恋する」という思いの強さに応じてより適当な表現を提示してくれている。

≪愛≫
「新明解」……『個人の立場や利害にとらわれず、広く身のまわりのものすべての存在価値を認め、最大限に尊重してきたいと願う、人間に本来備わっているととらえられる心情』
「明鏡」……『価値あるものを大切にしたいと思う、人間本来の温かい心』
「表現読解」……『相手のために尽くしたいと思う、温かい気持ち』

「新明解」は範囲が非常に広い。範囲としては新明解>明鏡>表現読解だろうか。しかしどれも人間に本来備わっている(備わっていてほしい)温かい心情である、という意味で共通している。

こうして見てみると、同じ語なのに説明の仕方によって読み手が受ける印象が大きく異なる。だからといってどの日本語が正しい、どの辞典が間違いということは無いのである。私も「絶対的に正しい日本語」というものは存在しないと考えている。「ら抜き言葉」も「ヤバイ」も定着してしまえば「正しい日本語」となる。そもそも「これは間違いでこれが正しい」ということが連綿と続いてきたならば、古語や死語なんて存在しないはずだろう。そもそも明治初期の小説を読んでも今ではわからない、使わない言葉が多い。150年ちょっとで大きく日本語は変わってきているということだろう。なのであれやこれやとやかく言うのではなく、日本語の成長を温かく見守るのが良いのではないだろうか。

オススメ度

オススメ度★★★★☆
面白さ★★★★☆
合計★8つ
とにかく手に取って実際に読んでみて欲しい。そして自分のお気に入りの辞典をぜひ購入してほしい。その際には「オススメ辞書占い」を活用すると、きっといい出会いに恵まれるだろう。ぜひこの本も、そして「米粒写経」としての二人も売れて欲しい。
学校では教えてくれない! 国語辞典の遊び方 (角川文庫)

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